悩んでいる。
働かないのは問題だ、国の経済上問題だ、労働義務を果たしていないのは問題だ、事件を起こすかも知れないので問題だ、ホームレスになっちゃうかも知れないので問題だ……などなど。むろん、わたしもこれに加担しているわけだが、しかし、これは問題だと声高に叫べば叫ぶほど、当事者を追い込むことになってしまう。これは果たしてよいことなのか悪いことなのか、問題だ……
『ニートと引きこもり(5)』でも触れたが、ニートやらなんやらを生んでいる原因は複数あり、かつ複雑だ。戦後、欠乏感に基づいて皆が豊かな生活を目指し、ひとつの方向へがんばっている時代はよかったが、現代はその欠乏感が充足されてしまった。社会学者なんかは「成熟した社会」とか呼んでいる。その結果、さまざまな問題が持ち上がっているのだと。
となると、かつての古きよき社会、むろんそんな社会はなかったのだけれども、そのかつてあったように感じている「問題が顕在化しなかった社会」のような状況を望むのなら、成熟した社会とやらが時代を後戻りしなきゃならない。そうなればかつての時代に有効だった方法が通用するだろうが、そりゃバカな話なんで、現代には現代に有効な方法が必要なはずだ。
わたしたちがあちこちでいろいろ議論していることは、実は、
「むかしならこうすればうまくいった」
というたぐいの、古い時代の方法論ではないのだろうか? 時代も人もちがうのだから、その方法をそのまま移し変えてもうまく機能するかどうか。
たとえば、地域の力が落ちているといわれる。むかしは近所づきあいなど活発でお互いあれこれ面倒を見合い、他人の子だって平気で説教したものだが、今、そういうことは少ない。それが有効だったのは社会全体がひとつの方向を向いていて、おなじ価値観を共有していたからだろう。大人は皆おなじことをいっていたのではないか。つまり、社会代表の声として。
だが、現代はそれぞれに価値観がちがう。いうことは皆バラバラだ。隣のおじさんのいったことは、単に隣のおじさんの考えに過ぎない。別のおばさんは別のことをいう。これでは地域力もヘチマもない。運よく地域がまとまったにしても、それが世間と解離していればやはり一地域の考えに過ぎないことになる。世間のことは、メディアを通じていくらでも知ることができるのだ。そうした時代における地域力は、むかしとはちがった形を取るのではないだろうか? むろん、わたしにはそれがなんなのかわからないけれど。
ひとつだけ、大人たち、とりわけ親たちが皆がおなじことをいっている分野がある。教育の現場だ。一流の幼稚園から一流の小学校へゆき一流の中学へ入って一流の高校を卒業し一流の大学を経て一流の会社に就職する。むかしはこれで大丈夫だったが、今は一流の企業が潰れてしまう時代だ。わかっちゃいるが、けれどほかに方法がわからない。なので、相変わらず学歴を志向し、子供たちを急き立ててゆく。いや、ほんとうのところはどうなのか知らないんですが(苦笑)。
どうなんだろう? いっそのこと、わからんことはわからんといってみちゃ?
「俺たちにゃ、おまえがどうすればよいのかわからん。だから、自分で自分の道を探せ」
正直に、そういってみては?
ここで重要なのは、子供たちが安心して帰ってこられる場所である。本人に選択させ本人に決定させるのだから、結果は本人の責任だ。成功はもとより失敗も当然、本人の責任となる。しかし、ダメージを受けたら傷を癒す場所がなければ再スタートが切れない。失敗してケガを負った子供が安心して帰ってこられ、受け容れてもらえる拠りどころ。親のみならず社会がすべきなのは、効力の薄れた過去の道筋を示すことではなく、子供たちが帰ってこられる場所を作っておいてやることではないのだろうか。そして、その第一はやはり家庭だろう。
ところが、その家庭が機能不全の状態にある。ゆっくり傷を癒すどころか、能力がおまえの価値のすべてだといわんばかりに、更なる能力向上へ向けて追い立てられる。家庭だけでなく学校や地域、あらゆる場所で有形無形の圧力がかかる。それで疲れて引きこもったりニート化したり街へ出て悪さをしたり……と、わたしは考えた。
がしかし、いや、そうではないのだという意見を耳にした。能力の評価よりも、あなたはただ存在しているだけで価値があると教えてこられたことが、いうなれば親にとても愛されて育ったことが、能力のみで評価する社会と摩擦を起こす原因なのではないかという。
「教えてもらったこととちがうじゃん」
ということらしい。
で、わたしは悩むわけである。親に充分愛されて自分の存在そのものに価値を見出している子供は、自己の中心に自信となる核を持っている。いわば健全な自己愛だ。世間で能力を否定されてくじけ落ち込んでも、この核には揺るぎがない。だから、再び立ち上がってゆく。というのがわたしの考えなのだけれども、その核が社会と摩擦を起こしていると、そのようなことらしい。
そうしたわけで、わたしは丸2日ばかり考えた。なにもわからなかった。