労働問題、とりわけフリーター問題に特化した著名なブログに「フリーターが語る渡り奉公人事情」がある。親ブログである「オルタナティブ大学 on Blog」からは、むかしトラックバックをいただいたことがあったけれど、「フリーター……」とはついにご縁がなかった。
ぼくも正社員経験がなく、いってみれば純粋なフリーターあがりである。好きでフリーターをしていたわけではまったくないが、さりとて正社員に特別な憧れを抱いていたわけでもなかった。実家が商家だったせいもあるのだろう。ぼくは末弟で家業を継ぐ立場になかったけれど、それでもそれほど正社員にこだわりは持たなかった。とはいうものの、「ここで働きたいッ!」と思った会社にはそっぽを向かれて落胆もしているので、正社員を軽く見ていたわけでもない。要するに、とにかくまず食ってゆくことを考えていて、雇用形態は気にしていなかったのだ。
同ブログの「日雇い派遣ワールドと一般社会」に、こんな一節がある。
そして、食費を削り、高熱をいつとめられるかひやひやして、数ヵ月後には職があるかどうかひやひやしているのだ。
ぼくもフリーター時代、職を失い光熱費を払えなくなり、電気やガス、水道や電話を止められたことが何度もあった。部屋でたったひとり、ぽつねんとしていると、突然ドアがノックされる。幾度も幾度も叩かれて、大きな声で名前を呼ばれる。ときには「いるんでしょー? わかってるんですよー」なんていっていく人もいた。ぼくはその声から逃れようとして部屋の隅にゆき、壁に張り付きながら、ただひたすらに早く帰ってくれることを祈るばかりだった。
やがてなにかガタガタと作業の音がしたかと思うと、ドアの隙間に紙切れが差し込まれ、ふっと人の気配が消える。ほっとできるのもつかの間で、電気、ガス、水道など、あわてて調べてまわるのだけれど、スイッチを入れても電気がつかない、元栓をひねってもガスが出ない、蛇口をまわしても水が出ない。その心細さといったらなかったものだ。ときにロウソクを買い求め、ときに公園の水道から水をポリタンクに詰め、急場をしのいだ。家財があれば質屋に持ち込んで現金を作った。最後には、古本屋に行っても一文にもならないような本だけしか残らなかった。
なんといったらよいのだろう、それでも最後には「自分ひとり、なにをどうしたってなんとかやってゆけるだろう」という、ある種の楽観性によって生き残ってきた。今こうしてホームレスになって、ときにゴミを漁り、ときに公園のベンチで寝ることになっても、それでもやはりまだ生き残ってはいる。
戦いとは 生き残ることなんだと気づいた
(土曜の夜と日曜の朝/浜田省吾)
「フリーター……」と「ミッドナイト……」では拠って立つところがちがっていて、ぼくはほとんど社会を論じず個人の問題に依拠しているが、「フリーター……」ではまったく正反対の立場を取っている。けれど、結局のところ、どちらも「生き残ること」を目指しているのには変わりがない。戦いというなら、それが戦いなのだろうと思う。