汗が額を滝のように流れ落ちてゆく。ザーザー。
ウソをつけ。そんなに汗が流れたら前が見えなくて危険だし、たちまち脱水症状を起こしてしまうではないか。だから、汗はガラス窓についた雨粒のようにぼくの額を伝いながら、ゆっくりと流れ落ちていったのだ。幾筋も、幾筋も、幾筋も。
ほの暗い水銀灯が放つかすかな光の中に、硬く冷たいベンチの上で横になる男どもの姿がぼんやりと浮かび上がっている。誰もピクリとも動かない。死んでいるのか。死んでいたってどうってことはない。どうせホームレスだ。
なんだってぼくはまたここに戻ってきてしまうことになったのだろう。ちょっと具合が悪くなって仕事がなくなって金を使い果たしたら、あっという間に路上に逆戻りである。公園のベンチからネットカフェまで何年もかけてようやく這い上がったと思ったら、堕ちるときはまっさかさまだ。
禍福はあざなえる縄の如し、か。浮いたり沈んだりしながら人生は進んでゆく。ただ、ふつう、沈んでは水中に潜り、浮いては水面上で息をつくことができる。ぼくは、あるいはぼくらは、水中で浮いたり沈んだりしているだけで、決して水面上には浮き上がれない。息ができない。いつも窒息している。もっと空気をッ!
はぁはぁ。暑いな。はぁはぁ。
汗で肌に張りついたシャツを引き剥がす。
ベリベリベリッ!
いや、ウソだ、ウソだよ。
にゅるにゅるにゅるん、かも知れない。
うぞうぞベッタリぞわぞわぞわーん、かも。
ふと、考える。人生とはなんだろうか? 人生とは……生きることだ。生きることが人生だ。人生は生きることさ。生きること、それが人生だ。人生とは生きることだったんだね。そうよ、生きることが人生なのよ。そうか、君、生きることが人生だったんだ。そうなのよ、あなた、人生とは生きることなのよ。はーはっはっはッ!
うるせーな。ばかやろ。
ぶーん、ぶーん、ぶーん。
うるせーな。ばかやろ。
ひぃひぃ。うるせーな。ひぃひぃ。
ふと、考える。蚊にも人生はあるのか? このやかましく疎ましいチンケでちっぽけな生き物にも、人生と呼べるようなものはあるのだろうか?
ピシャッ!
あったとしても、それは終わった。ザマミロ。
ふぅふぅ、痒いなぁ。ふぅふぅ。
そうだ、秋葉原通り魔事件について考えよう。聞きたまえ、諸君。この残虐なる事件の根幹にあるものは、強烈なるまでの自己愛だ。現代人に特有の肥大化した自己愛によって圧倒的な自己中心的である自我(エゴ)が社会に対する異常なまでの被害者意識を生み出し結果として怒りを転嫁させた末の被害者のアレが投影して事件のコレが核心的なるナニの真相の究明とともにナンタラ的であるその社会的な責任をカンタラとして果たすべく……
やめた。こんなことは冷房の効いた部屋でじっくりと考える話題だ。路上でホームレスが考えることじゃない。路上でホームレスが考えるべきことは……
……人生とはなんだろうか? 人生とは……愛である。
並木道に連なる水銀灯の光を浴びて、すらりとした若い女性がゆったりと歩いてゆく。
お嬢さん、ぼくと結婚してくれませんか?
嫌です。
そうですか、さよなら。
そうしてぼくの愛は終わってしまった。
わははッ! おもしれぇッ! ホームレスには笑いが必要だ。苦しいときに苦しいというのはただの馬鹿モノである。苦しいときでも笑っていなくちゃいけない。わたくしホームレスですたいへんなんですつらいんです苦しいんですえーんえーんえーん。
アホか。泣きごとをいうな。わたくしホームレスです? そりゃご苦労さん。だからどうした?
わたくしホームレスなんです。
そうか、それで?
わたくし空手3段です。
俺はそろばん3級だ。
数年前に出会った、ちょっとネジのゆるんだホームレスのことを思い出す。まだ三十そこそこの若い男なのだけれど、行き場を失って深夜の街を歩きつづけていたヤツで、あるときすれちがいざまに、
「おまえ、どこそこで見かけたヤツだなぁッ!」
いきなり突っかかってきたのである。
ぼくが立ち止まり黙っていると、
「おまえ、乞食だなッ! このぉ、クソ乞食ッ!」
それはすごい剣幕であった。
――いや、おまえがホームレスだろう。
ぼくは首をかしげたが、なんだがよくわからないまま、
「やるのかぁッ! 俺は柔道2段、空手3段だッ!」
ときて、そこでぼくはひょいと、
「へぇ。俺はそろばん3級だ」
といった。ふつうはここで気勢をそがれるか逆に激怒するものだけれど、そいつの表情はまったく変わらなかった。意味がわからなかったのだろうか。あの男は今、どこでどうしているだろう?
……なにを考えていたんだっけ? そう、泣きごとをいってはいかん。人に向かってホームレスの顔をしていてはいかん。それはあまりに失礼だ。だから、ぼくはたとえば人に会わねばならないとき、時間を取って身支度を整える。会ったときにはニコニコ笑う。ホームレスとしてではなく、ひとりの人間として会う。でき得る限り、最初から最後までその姿勢を押しとおす。ホームレスのつらさなど、微塵も見せることはない。
ぼくがホームレスなのは、ぼくの問題である。相手の問題ではない。関係のない相手にホームレスの顔で接しては失礼だ。それはあまりに自己チューである。ただ、そのために、相手にぼくの状態が伝わらないことはある。しかし、伝わったところで、それは相手には関係のないことだ。自分がホームレスであることを相手に押しつけるのは傲慢というものだろう。
ブログもそうである。ぼくは基本的にホームレスのたいへんさなどグダグダ書かない。生活を書くことはあっても、泣きごとは書かない。つらいだのたいへんだの書くのは、それは読者に失礼だ。なぜならば、読者だってたいへんだからだ。読んでたいへんな気持ちになりたい読者なんぞいないのだから、自分はたいへんだと叫ぶのは、読み手のことを考えていないことになる。それは自己チューなのである。
したがって、つらくてたいへんな話を、そうとわからせずにおもしろく書かねばならない。そうして読者に楽しんでもらわねばならないのだ。それが、モノを書く人間の務めだと、ぼくは固く信じている。だから、泣きごとなど一切書かない。
いや、書いたかな? うーん、少しは書いたかも知れない。いや、たくさん書いた。書いた書いた。書いただろー、おまえ。絶対に書いたよ。書ーいた書いた、書い書い書いたぁッ! やーいやーい。そうか、書いたか。じゃぁこの話はここまで。うひゃひゃ。
眉間のあたりがしこっている。指でつまんで揉む。眉間に刻まれた幾本もの深い縦じわが、いつになっても消えない。時折、意識して顔の筋肉をゆるめてやるようにはしているのだが、気がつくと縦じわが走っている。そのせいで、外見上は一般人に見える現在でさえ、繁華街の客引きはぼくに声をかけてこない。おそらく凄まじい形相で歩いているのだろう。これはこれで面倒がなくてよいのだが。
あなた、こんなところでどうなさったの?
どうもしやしないさ。
もう3日も食べていないんでしょう?
3日ぐらい、どうってことないさ。
さぁ、あたしのうちへいらっしゃいな。熱いお風呂も沸かしてあるし、きれいな着替えも用意してあるの。料理もあなたのために腕を振るったのよ。ビールだってあるわ。
俺はビールは飲まないんだ。忘れたのか?
嫌な人ね。忘れたの? ビールはあたしが飲むのよ。あなたに会えたことに乾杯するんだわ。さぁ、あたしのうちへいらっしゃい……
引っ張られたと思う間に、ベンチの脇に腕が垂れ下がった。横になっているうちにウトウトしたようだった。誰だったんだろう、この女は? 以前にも会ったことがある気がする。しかし、現実で会った記憶はない。すると、夢でだけ会える女、か。
ベンチの上に身を起こし、肩を揉みながら首をまわす。
ゴキグキドゲゴガバキボキブギドガ。
うぃーんうぃーん、がしゃーんしゃきーん。
これはよくわからない音だ。
じゃぁこんなのはどうだろう?
あなた、こんなところでどうなさったの?
どうも、桂三平です。こうやったら笑ってください。
意味わかんねぇ。ていうか、三平は林家だろう。そういえば以前、人に会ったとき、その第一声に、
「どうもはじめまして。林家ペーです」
とあいさつしたことがあって、相手は素っ頓狂な顔をしていたっけ。自分のことなど忘れてしまい、とにかく相手に楽しんでもらおうとする。ぼくもそうとうおかしなホームレスだが、ホームレスには笑いが必要なのさ。
時計を見ると、すでに深夜になっている。2、3人、横になっている男どもが増えているようだ。必ずしもすべてがホームレスとは限らないが、どこかからやってきて眠り、いずこへと去ってゆく男ども。
さて、突然だが読者諸君。ここで多くの読者諸君は何気なく読み飛ばしてしまっているはずだが、ぼくが見た時計とは、果たしてどのような時計であったのだろうか? そのことが引っかかっていた読者は、なかなかの読み手である。そこに、この事件のナゾを説く手がかりがあるからだ。事件とはナニか? いうまでもなくホームレス殺害事件である。被害者のホームレスが最後に見たという時計、それが事件のカギなのだ。
……って、被害者ってのは俺か。すると、俺は死んじゃったのか。なんてことだ、俺は俺が死んだことに気がつかなかったッ! バカヤロー、俺ッ! こんなところで死んじゃいやがってッ! こんなに汚くなっちゃってッ! せめて風呂に入っておけばよかったよ。よし、俺の仇は俺が取ってやるからなッ! 俺よ、安心して成仏しろ。
なんだか落語の「粗忽長屋」みたいになってきたけれど、ここでクイズです。ぼくが見た時計とはどのような時計だったのでしょう? 腕時計でしょうか? 最近は携帯電話の時計も流行(?)だそうです。ちなみにぼくは、懐中時計が好きです。うちの田舎には、大きな柱時計がありました。ロンドンにはビッグベンという時計台があるそうです。さて、ぼくの見た時計とはどのようなものだったのでしょうか? さぁ、みんなで考えようッ!
ちなみに、読者諸君の答えが外れたからといって、罰金100万円を支払えだとか住む家を提供しろだとか食いもんをよこせだとか、そういうことはありませんのでご安心ください。外れたら全財産をよこせだとか、そういう罰則はございません。どうぞご安心を。
この最後って、小柳トムのネタだったな。
なんだっけ? ……そうか、いずこからやってきて、いずこへと消えてゆくホームレス。嗚呼、神さま仏さま稲尾さま、いったいぼくはどこからやってきて、どこへゆこうとしているのでありましょーか?
あっちからやってきて、そっちへゆくのだろ。おしまい。
ベンチに座って手を組みうつむいて、少し前かがみになっている。ほおを伝った汗があごの先に留まって、やがて足元のコンクリートに向かってゆっくりと落ちてゆくのを、ただ眼で追っている。スローモーション。汗の粒がコンクリートの上で粉々に砕け散ってゆく音が聞こえる気がする。
両眼をきつく閉じる。目の周りが硬くしこっている。全身の肌がヒリヒリする。まるで身体じゅうの神経が剥き出しになっているかのようだ。少しずつ、少しずつ、路上に堕ちてからしばらくの、あのギリギリと追い詰められた、ナイフエッジのような感覚がよみがえってくる。
眠れない。少し歩こう。たぶん、このままここでじっとしていたほうがよい。だが、じっとしてなどいられない。じっとして頭を抱え込んでいると、心が「澱む」のだ。心が常に流れつづけるようにする必要がある。そのためには動かなければならない。さぁ動けッ!
立ち上がってバッグを担ぎ、あてもなく歩き出す。暗がりを抜け街道を渡り信号を横切って右へ折れ左に曲がりまっすぐに歩きつづける。
タイル張りの商店街には、シャッターにへばりつくようにして眠りにつくホームレスが列をなしている。ダンボールを敷いただけの上に、白いシャツと紺のスラックスで横になる初老の男。清潔で程度はよい。紺の作業着姿のままで壁を向いて眠る男は、やや程度が悪い。ダンボールを切り開いて壁のように立てかけ、目隠しをしている者。器用なものだ。そばの皿には猫用の餌が置いてある。いくつものダンボールをトンネルのようにつなげて、その中で眠る者。ダンボールの数が足りなかったのか、毛むくじゃらの足だけが無造作に投げ出されている。足の裏は、墨を刷いたように真っ黒だった。
商店街を抜け、再び暗がりの道へ。なにかが足りなかった。はたと気がついた。歌だ、歌がない。歌を思い出せ。
仕事終わりのベルに
囚われの心と身体 取り返す 夕暮れどき
家路たどる人波
俺はネクタイほどき
ときにわけもなく叫びたくなる 怒りにJ.Boy 掲げてた理想も今は遠く
J.Boy 守るべき誇りも見失い
J.Boy J.Boy……
(J.Boy/浜田省吾)
頭上を見上げると、彼方にオリオン座がのぼりはじめていた。オリオンは冬の星座として知られるが、真夏でも明け方前、ほんの1、2時間だけ、地平線上に姿を現す。ぼくが7年近く前に路上に堕ちたときは真冬で、薄いジャンパーを羽織っただけで震えながら空きっ腹を抱えて途方に暮れていたとき、頭上にはいつもオリオンが輝いていた。以来、ぼくはオリオン座が嫌いになった。
青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見下ろし
この人生がどこへ俺を導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ 迷いのなか さまようどんなに遠くてもたどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ
(家路/浜田省吾)
オリオンに向かって歩いた。ゆるい風がほおをなでていった。気温も下がって穏やかだ。なのに、汗だけが流れる。ただ、汗だけが、流れつづけてゆく。