「なにかしてやろう」は通用しません

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このブログの性格上、以前は福祉関係の人が多く、またぼくがうつ病の話などするので医療関係の人たちもおいでいただいたようですが、加えて最近は教育関係の方もいらっしゃるようです。

さて、それとはまったく関係のない話をはじめますが、これは今すぐには役立たなくて、おそらく十数年後に必要になってくるような気の長い話ですから、まぁぼくは未来にこれを読むであろう人に向けて書き記しておこうと考えたわけです。

ぼくはこれまで実にいろいろな人たちと話をさせていただきまして、それはホームレスを非難する人たちから支援する人たちまでさまざまにいたわけですが、非難する人たちにとってはぼくがする話はまったく役に立ちませんから棚に上げさせていただいて、これから福祉、これは特にホームレスに限ったことではないと思いますけれども、それは高齢者や障害者への福祉、あるいは若者支援といった分野で活動しようと思っている人にとっても、決して無益な話ではないだろうと思うのですね。

それで、ぼくがこれまでお話ししてきた相手というのは、大部分がホームレスを支援・応援する人たちだったわけで、もちろんボランティアさんも含んでいるのですが、ひとことでいうと、ぼくにはまったく役に立ちませんでした。これはものすごくひどい言い草なんですが、事実は事実として伝えねばなりません。感情抜きで冷静に考えて、役に立たなかったといってよいと思います。それは、ぼくがいまだ路上に釘付けであることからもわかります。

ですから、これからホームレスやらなにやらの援助にたずさわろうと考えている人たちには、そういうことをよく考えた上で、古いとおりいっぺんの既成概念に囚われることなく、新たな援助方法を模索していってもらえたらと思っています。

さて、ぼくのところには、これまで実にさまざまな人たちが訪れて、援助や応援をしてゆこうとしました。それは、助言、指示、忠告、説教、指導、叱責など、ありとあらゆる種類のことばでしたが、すべてに共通していることは、
「ただちに解決してやろう」
「なにかしてやろう」
という思いでした。ですから、矢継ぎ早に「解決策」が提示されました。

ところが、ぼくのほうにもいろいろ事情がありまして、なかなかみなさんがおっしゃるようなことはできない。すると、「あぁ、こいつはダメだ。捨て置け」ということになってしまう。そういうことがずっとつづきました。

これはどういうことかといいますと、なにかその人なりの実績やらアイディアやらで、なんらかの解決策を持っているわけですね。「きみ、それで困っているのならこうしたまえ」というわけですが、こちらはそれはできないという。「なぜできないのか? では勝手にしなさい」ということになって、一巻の終わりです。

だいたい支援する人たちというのは、ある状態へ移行させた人数で実績をはかるところがあって、生活保護を何人に受けさせただとか、何人アパートへ送り込んだだとか、まぁそういう話になる。今、東京都が公園住まいのホームレスをアパートに送り込む事業をやっているんですが、これもそうですね。テントからアパートへだれそれを何人移した、よかったよかったどんなもんだと、そういう話が出てくる。

しかしこれ、一部は確実にまた路上に舞い戻ってしまうんですが、やはりまだ外観上の形を整える、つまりアパートへ入れたんだぞと、よかったじゃないかと、そういうところが評価の基準になっている。これもまた先に書いた、
「ただちに解決してやろう」
「なにかしてやろう」
のかたちなわけです。

「ただちに解決してやろう」
「なにかしてやろう」
というのは、援助する側が考えた「なにか」なので、援助される側が望んでいる「なにか」ではない可能性がある。別のいいかたをしますと、支援する側の人が考えた「なにか」というのは、支援する人が「自分はあなたにこうしてほしいんだ」と思っている「なにか」なのであって、要するに自分の希望を相手に実現してほしいわけです。

ですから、自分の希望であるその「なにか」を「ただちに」実現するために手助け「してやろう」「してあげたい」ということになって、それを実現してくれない相手にはそっぽを向かざるを得なくなってしまう。これは、誰かを援助しようとする人たちが非常に陥りやすい罠だと思います。そして、実際、多くの人たちがこの罠に陥っています。

ぼくがこれまで見てきた中では、10人いたら10人がこの罠にハマッています。100人いたら、97~98人ぐらいまでがこの罠にハマッているのじゃないかと感じますね。

「私は知っている。おまえは知らない。だから教えてやる。ただちにそのとおりにせよ。それで解決、一件落着だ」
という「援助」です。ですから、助言、指示、忠告、説教、指導といったかたちになるわけです。

さぁ、これまではそれでうまく運んできたかも知れません。しかし、これからはホームレスの質も変化してきます。
「あぁ、そんな方法があるのなら、ではやってみましょう」
から、
「そんなことは知っているけれども、それができなから困っている」
という人たちが増えてきます。つまり、援助する側が望んでいる、
「ただちに解決してやろう」
「なにかしてやろう」
が通用しない、助言、指示、忠告、説教、指導がまったく役に立たないホームレスが増えてくるでしょう。

ぼく自身、これまでにいろいろなことをいわれてきました。役所にゆけ、地元のボランティアに相談しろ、施設に入れ、人と関わりを持て、ネットカフェはやめろ、ドヤにゆけ、仕事しろ、などなど。けれども、いずれも実現できませんでした。これには、口にできない実にさまざまな複雑な事情が絡んできます。不況で仕事がなくなって収入が減って住まいを失くした、だから仕事をくれ住まいをよこせ、という単純な話ではありません。そして、このような複雑な事情を持ったホームレスが、今後十数年のうちに主流を占めるようになるでしょう。

……ではどうすればよいのか? それはぼくにもわかりません。が、ステレオタイプの、
「ただちに解決してやろう」
「なにかしてやろう」
が役に立たないことだけはわかっています。

これは、おなじくステレオタイプの、
「応援しています」
も似ているのですが、この話は次回に。

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