たとえば厚生労働省のホームページを見てみると、「生活保護・福祉一般」というページに「ホームレス対策」という文言が見られるが、これはホームレス対策を簡単に説明しただけのもので、ホームレス当事者にとってなんら役立つ情報ではない。
東京都では「福祉・人権」の項目からさらに「東京都福祉保健局」のページへゆき、「分野別案内」の「ホームレス対策」から「ホームレス自立支援システム」に至ってようやく情報にありつけるが、これは簡単に対策を解説したものだからホームレスには役立たない。「相談窓口」のページにはホームレスの文字を見つけることはできない。
おとなりの神奈川県では「保健・医療・福祉」に「神奈川県ホームレスの自立の支援等に関する実施計画等について」というページを見つけることができるが、これも対策の説明に過ぎない。項目が生活保護と隣接しているが、直接に関係し合っているわけではない。
横浜市では「福祉局」の「ホームレス支援」という項目から「横浜市のホームレス支援策の概要」を見ることができるが、これも施策の解説だ。「相談窓口案内」にホームレスの文字を見ることはできない。というか、そもそもトップページに「福祉局」へのリンクがないので、検索で探すハメになる。
川崎市では「医療・保健・福祉・子育て」の項目にホームレスの文字はない。やはり検索で探すと「川崎市ホームレス自立支援実施計画」の文書にぶち当たるが、これも施策の簡素な解説である。
さてここで、たとえばアメリカを見てみよう。以前にも紹介した「HUD」(住宅・都市開発省)のサイトには「homeless」の項目がちゃんとあり、読めばわかるがホームレスやボランティアなどに向けた情報を徹底的に提供している。この情報の集約はまったく驚くべきものだ。各種相談窓口から各地のボランティア組織やシェルターの所在までリストしてあるのだ。ホームレスがどう行動すればよいのか、ひと目でわかる仕組みだ。
……諸君、わかるかい? このちがいなんだよ、このちがい。ホームレスに対するこの決定的な扱い方のちがいが、ホームレスをホームレスに押し留めている主要因のひとつなのだ。そこにはホームレスに対する彼らの意識と立場がはっきりと見て取れる。それはいうまでもなく切り捨てと隠ぺいの立場だ。日本は、一度ホームレスになったらほとんどおしまいの国なのだ。それがよくわかるだろう。