さて、よく引き合いに出されるのは入院患者さんの話だろうと思うのだが、患者さんは、はじめのうちは大人の自覚もあるし、医者や看護士さんは赤の他人であるから、いわれたことはきちんと守っておとなしく療養している。ところが入院が長引くにつれ、あれをしたいだのこうして欲しいだの、だんだんとわがままをいい出す。社会的に地位のあるような立派な御仁でも、往々にしてわがままをいい出すらしい。
これは、自分で環境をコントロールできない状態がその原因のひとつにある。自分で状況をコントロールできるのならばただちにそうしたいのだが、環境がそれを許さない。他人を頼らざるを得ない状況なので、欲求不満が高まってくるわけだ。そこへさらに、赤の他人であったはずの医者や看護士と仲よくなったために他者性が失われ、友人や家族と同じように自分の延長ないし一部として相手を捉えるようになり、次第に無理をいい出しはじめる。一度断られたものを幾度も懇願したりしてしまう。しまいには怒られてしまうわけだが、そうすると今度はスネたりする。こうしたことは、ふつうの人にふつうに起こる。
これは精神分析で防衛機制と呼ばれる。葛藤が生じたときに心を守るための働きなのだけれども、その中の退行というものである。要するに子供がえりの状態なのだ。これが初対面の相手に対してわがままをいうようであれば、それは単に社会的に未成熟だといってよいのだけれども、慣れ親しんだ人が相手ならば特別おかしなことではない。
だれしも友人や家族、恋人などを相手に甘えている。あるいはそれは、会社の上司、同僚かも知れないし、部下に無理やり残業を押しつけたりしているかも知れない。おとなりの奥さん、裏のご隠居かも知れず、行きつけの八百屋の店主に、
「もっとまけてよッ!」
と無理をいっているかも知れない。逆にまったく甘えがないと、相手が身近である人ほど今度は、
「なにを他人行儀な……」
と不満を漏らすものだ。そうして人はみな日々退行し、だれかに寄りかかり甘えながら暮らしつづけている。入院患者のように、環境を自分でコントロールできず他人に頼らざるを得ない、なかば拘束された状況にある者は、そうした状態がなおのこと加速されるのである。
ホームレスや引きこもりやニートへは、よく「甘えている」という紋切り型の非難を聞く。実際、そのように見える人もいないわけではない。ならば、仮に、ここは百歩譲るとしてみよう。百歩譲ったと仮定して、なおやはり、申し上げておかねばならない。覚えておいて損はない。
おなじ状況に陥れば、やはりあなたもまた退行するのである。