わたしも当初、生活保護の利用を拒んでいました。人の世話になったらイカン、自分ひとりの糊口もしのげないのはみっともなくてイカン、自立していないのはイカン、とイカンイカンずくめでした。
ですからホームレス施設の職員に生活保護を勧められたとき、はっきりと断りました。すると彼は云ったのです。
「生活保護を受けることは自立そのものなのですよ」
そのときは意味がわからず、もう少しがんばろうと思っただけでした。
わたしはうつ病で職を失い、実家に戻って療養中に家庭内暴力で家を追われ、文字どおり着の身着のままで路上に放り出されてホームレスになりました。世間知らずですが、それまで福祉は関心の埒外(らちがい)で、生活保護など思いつきもしません。そもそも福祉事務所の存在すら頭に浮かばなかったのです。
不安障害を発症し、まるまる7年、うつろに路上をさまよう毎日でした。テントや寝具を持たない完全移動型ですから、それゆえ支援の届かぬ場所でひとり、のたうっていました。路上の生活は経験したことのない想像を絶する厳しさで、深夜、道の真ん中で叫び出すなど、正気ではいられなかったこともあります。後半はいくらか落ち着き、廉価(れんか)なネットカフェと路上とを行き来していましたが、病が進んで身動きの取れない状態でした。
もうこれ以上は無理だと生きることを諦めかけた7年目の終わり、福祉事務所に同行してくれる方が現れ、ホームレス施設に送られたのです。福祉事務所では、精神疾患のために恐怖で身体中がガタガタと震えてしまうのを面接官に見とがめられて、アルコール依存症を疑われたりもしました。生活保護の話は一切出ませんでしたし、わたしはただ云われるとおりにするのが精一杯。
施設で身体を休めながら病気の治療をしつつ、就職活動をしているうち、滞在期限が切れました。延長、です。さらに就活、そして延長。さらに就活、また延長、ということがつづいたころ、職員から生活保護の話が出たのでした。
わたしが断ると、彼は云いました。
「生活保護を受けることは自立そのものなのですよ」
わたしは意味を理解しかねて、しかしことばが頭にこびりついてしまい、ひどく気になったまま日々を過ごしていました。
「生活保護を受けることは自立そのものなのですよ」
――自立ってなんだろう?
そうして調べ出し、ようやく納得がいったのです。
大むかし、自立とは「人に頼らずひとりでガンバる」ことだと思われていました。わたしもそう信じ切っていました。けれど、現代では、自己選択と自己決定による人格的自立を指します。人に頼らない旧来の「自助」ではなく、必要なサービス、必要な人の手を借りて、主体的に生活するのです。
できないことは人に手伝ってもらい、動ける範囲、活動範囲を広げ、自己決定できる機会を増やしてゆく。人の指図ではなく、自分の決定で行動する。出来合いの物を与えられるのではなく、お金をどう使うかを自分が決める。ですから現代では、生活保護制度の利用がイコール自立となるのですね。制度からの脱却を「完全自立」などと呼ぶおかしな声も聞きますが、自立に完全も不完全も、もちろんヘチマもありません。
これらの考えは驚きを超え、衝撃ですらありました。パラダイムシフト、というヤツです。頭をぶん殴られた思いでした。考え方がまったく変わったのです。そして、わたしはみずから職員のところに出向き、生活保護の利用意思を伝えたのでした。
自立を目指すなどと称して生活保護への締めつけがますます厳しくなる中で、しかし制度の利用者は、実際にはみな自立した人たちです。こうした「すでに自立している人たち」は云うに及ばず、自立のためにこれから制度を使おうとする人たちからその機会を奪う政府の方針は、まったく理に反しています。景気が悪いのでしょうか? だったらなおさら福祉が必要ではありませんか。
何度でも云います、生活保護の利用は自立そのものなのだと。福祉におけるこの考え方が、一刻も早く社会に根づくことを願ってやみません。
※)このコラムは2013年5月22日、Facebookのグループ「STOP!生活保護基準引き下げアクション」に掲載されたものです。