ニートとひきこもり(1)

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 にせ藤沢人さんのブログ「藤沢生活」の記事『引きこもりとホームレス』では、ひきこもりとホームレスの接点について触れられているが、わたしもホームレス、ニート、ひきこもりには多分に重なり合う部分があると感じている。また、フリーターも単に雇用の問題としてではなく、その心性においてどこかホームレスに通じるところがあるように思える。

 ホームレスのアンケート調査などを比べると、ひきこもりと似通った点があるようにも感じる。家がないから路上にひきこもっているのじゃなかろうかとも思える。少なくともホームレスの一部は、ひきこもりとおなじメンタリティを持っている可能性がある。今はちょっと具体的に分析できないので説得力を欠くが……

 ひきこもりは若者に特有の現象と思われがちだが、必ずしもそうではない。わたしの知人にも40代で会社を辞め、失業保険と貯金を食いつぶしながら4年以上も自宅にひきこもってしまったのがいた。親しくはなかったので事情はよくわからないのだが、店長(?)のような責任ある職を辞するほどのわけは伝え聞かなかった。本人のみぞ知る理由であったのだろうと思う。

 ただ、ニートにしろひきこもりにしろ、若い人の場合、社会人の経験が乏しい、あるいはまったくないことが、再出発の大きなハードルになることは否めない。経験に乏しければ大きな不安が生じてあたりまえだ。だが、考えてみれば、中年以上の人間にとって、経験があることが大きな不安になる場合もありうる。とりわけ仕事に限っていえば、その責任や重圧を知っているからこその不安があるだろう。そう考えてみると、質にちがいはあれど、どちらが楽というものでもなさそうだ。

 もっとも、コミュニケーションにおいては、社会人経験のある者のほうが圧倒的に楽だろう。わたしでさえ、そうと知ってか知らずか話しかけてくる人などと世間話ぐらいは無難にこなすし、元気のよいホームレスのオヤジたちの中には、ここぞとばかりにしゃべりまくっているようなのもいるので、やはり一概にホームレスとひきこもりを同列には論じられない。それは、外見上、自宅にひきこもっている状態とは、いささかちがった形態であるからだ。しかし、それでなお、やはり両者には接点があると思う。

 ホームレスの問題を単なる失業問題と同意に解釈している人も多い。だが、単なる失業者ならいざ知らず、ニートやひきこもりは明らかに雇用だけの問題ではないと思う。そして、彼らがなんらかの事情で住む家を失ったとき、その先に待ち受けているのはホームレス状態である。むろんすべてであるはずもなく、それをきっかけに社会参加をしてゆく人が多いのだろうが、一部は確実にホームレスになるだろう。そのようなホームレスが増えたとき、単に就労の支援だけを考えた施策をおこなっていたのでは、まったく的外れ。ホームレスはどんどん増えつづけることになってしまう。

 最近、若いホームレスも目立つようになってきた。徐々に低年齢化してきているようだ。逆に、どうなのか、出社拒否や職場不適応など、ニートやひきこもりは高年齢化してはいないのだろうか? 雇用対策もけっこうだが、別の切り口から見た対策も必要じゃないか。そうでなければホームレスは減らず、むしろこれからますます増えてゆくのではないかと危惧せずにはいられない。

 ということで、これからはホームレスとひきこもりとニートとフリーターの問題に焦点を移してゆこうと思っているのだけれども、実はこれ、あまりやりたくないのである。きわめてややこしくむずかしい話になるのがわかっているからだ。だから、今まで避けてきたわけだ。けれど、いよいよやらにゃ、しゃぁあんめぇ。ゆくか、おい?

★今日のポイント

  • 自身の経験から、ホームレス・ニート・ひきこもりには共通の要素があると感じられる
  • ニートやひきこもりは雇用だけの問題ではないと思われるので、雇用対策だけでは問題解決にならない可能性がある
  • そうしたニートやひきこもりの一部は、将来ホームレスになる可能性がある
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