The Long Goodbye

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「The Long Goodbye」とは邦題を『長いお別れ』という、レイモンド・チャンドラーの手になる探偵小説のタイトルである。すでにお知らせしたようにブログの終了に伴い、その名にかこつけて書き残したことをいつもの減らず口で最後に。

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 なぜホームレスなんだ? というご質問が多かった。支援団体もあるし相談窓口も多い。生活保護もある。なぜ使わないのか? 結局、好きでホームレスやってるんだろ、というわけで、一般的には「プライドが高い」と理解されているようだ。

 しかし、これはなんともあまりに簡単で安直、なにも考えませんでした、ちょっと思いついただけですという思考停止した発想で、それじゃぁまるで中身が空っぽのカボチャ頭である。もっとも、カボチャ頭もハロウィンでは役立つが、ハロウィンの季節は終わったのだ。

 ぼくは健康上の理由、たとえば抑うつ症のために意志力と行動力が極度に低下していることであったり、そのために行政の窓口や支援施設に向かう途中、めまいや腹痛を起こしたりゲロ(失礼ッ!)を吐いたりしてしまうことであったりし、もう長いあいだチャレンジしていないが、たかが自分のちっぽけなプライドなんぞのために今を生きているわけでは決してない。

 いつもぼくの頭にこびりついているのは、
「他人に迷惑をかける道を決して安易に選ばないこと」
 ただそれだけである。

 なにより自分が我慢していれば、そのあいだに自分の割り当て分が他の人にまわり、我慢の限界に達して手遅れになりそうな人から順番に助かるはずである。富める者は貧乏人を助けるのがあたりまえのように、耐えられる者が耐えられない者に順番を譲るのは当然だ。

 あたりまえではないのか?

 それはプライドなどというものとはまったく関係がない、ごくふつうのありふれた考えなのである。ぼくは健康上の理由とともに、ごくあたりまえのことをつづけていた。そして、いまだにホームレスであるという話に過ぎない。いかなる理由であれ、ぼく自身がみずから進んでホームレス生活を選択したことは、ただの一度もない。

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「なぜ自分のようにしないのか?」
 というお怒りのことばを頂戴することも多かった。とりわけ、ご自身が非常に苦労され、必死でガムシャラに生きてきた方に多かったと思う。

 ひとつ大切なのは、他人の体験とぼくの体験は別のものであるということだ。たとえおなじ状況下であっても、個人の反応の優劣を秤にかけることはできないだろう。両者は等価で語られるべきと思う。

 1991年、ヨットレース中に転覆・遭難し、総勢7名のクルーで唯一生き残った佐野三治さんの手記『たった一人の生還』には、救命ボートで脱出後に飢えと疲労で次々と亡くなってゆく仲間たちの様子が書かれているが、最初に弱った人が、
「死んだら俺の肉を食ってくれ」
 といったとある。けれど、仲間たちにとってはそんなことは思いもよらず、水葬にする。そして次々と亡くなってゆき、最後にひとりだけが救助されるのである。

 1972年、南米アンデス山中に墜落した飛行機の中、奇跡的に生き残った32名の乗客たちは、しかし飢えと寒さと怪我のため、次々と死んでいった。そして、ついに仲間たちの肉を食べることを決断し、結果として16人が救助される。

 これは、どちらが正しいというものではない。どちらがまちがっているというものでもない。両者の体験は比較できるものではなく、その行動に優劣はつけられない。単に選択がちがったというだけで、極限状態にあったことはおなじだ。両者は等価で語られるべきものである。

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 環境が異なる、という「外部の問題」を取り上げるのならば、一般市民とホームレスとでは天と地ほどのちがいがある。住居のあるなしによって使える手段が大きく異なることもそのひとつだが、周囲の対応がまったくちがってくる。ホームレスになると、一般市民であったうちはまったく経験することのない、猛烈な差別にさらされるのだ。

 道ですれちがう、あるいはどこかで接する相手の眼つき、ことばづかい、態度、行動……ありとあらゆるものが、自分が市民であったときとは大きく異なってくる。侮りと蔑みの混ざった奇異の眼つき、敬意のひとかけらもないことばづかい、ぞんざいで非礼な態度、まったくやる気のない行動……。ホームレスというだけで、人々の態度はガラリと変わってしまう。

 たとえば、なんらかの施設でうたた寝をしてしまったとしよう。職員には、
「すいません、お客さん。寝られると困りますんで……」
 などと静かに注意されるのがごく一般的である。
 しかし、ホームレスになったとたん、
「おいッ! ここは寝るところじゃないんだぞッ!」
 あなたはいきなりそう怒鳴られることになる。

 このギャップ、すなわち差別は想像を絶するため、一般市民なら必死になれば乗り越えられる壁も、ホームレスは必死になっても滑り落とされてしまう。一般市民ならガムシャラにぶち当たって突き崩せる壁も、ホームレスはガムシャラになっても弾き飛ばされてしまうのだ。あらゆる場面で市民とは外部からの扱われ方が異なるというこの点、すなわち差別されるという点は、決して見逃されるべきではない。

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「自由で気まま、気楽なホームレス生活」
 という考え方は、いまだに根強く残っている。メディアがホームレスを取り上げる際にもこうした考え方を助長するように編集することが多いが、それ以上に一般市民には、ホームレスに対するある種の憧れがあるのだろうと思う。

 今の現実から逃げ出して気楽に暮らしたい、という想い。

 その想いが憧れとなって、人々の心にゆがんだホームレス像を定着させているのだろう。そして、それは憧れであると同時に、そうなれない市民からすれば憎むべき存在でもある。そう、「妬む」のだ。

 たしかに、ごく稀に、社会から離脱して気楽に生活しているホームレスはいる。社会に見切りをつけた厭世的な人々だ。仙人かどうかは置いておくとしても、老荘思想のようなものを持っているのかも知れない。馴染まない社会に居残って血ヘドを吐くよりは、その生活が幸せというケースもあるだろう。世知辛く生きづらい世の中ではなおさらだ。ただ、こうしたケースはごくごく稀なことである。

 ホームレス生活に自由などない。気ままでなどいられない。気楽になどなれはしない。それがあると思うのは一般市民の幻想である。あなたはまぼろしを見ているのだ。

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 ぼくはこの社会に恨みはない。たとえこの国がクソッタレな社会であろうと、無人島で暮らしたり南極に住んだり火星に移住したいとは思わない。社会から乖離した生活を送りたいとは思わない。

 ぼくはこの社会に価値がないとは思わないし、意味がないとも思わない。すばらしき天国だとは思わないが、生きる価値もない地獄だとも思わない。というよりも、たとえそこがクソッタレの地獄であったとしても、そこへ戻ってゆくのがぼくのホームレス脱出なのである。そうしてぼくは、そのクソッタレな地獄を生き抜いてやろうと思うのだ。

 たとえほかの連中が社会を捨てて逃げ出していったとしても、ぼくは逃げ出さないだろう。社会には、まだまだおもしろいことがたくさん残っている。99%がくだらなくても1%のすばらしい楽しみがあるのなら、どうして逃げ出すことなどできようか?

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 路上支援において常にいわれるのは、今、面倒を見ているホームレスで手いっぱいで、たとえばぼくのブログにあるような他のホームレスに支援を振り向ける余裕がないという説明だ。

 だが、それは安直なウソである。余裕など永遠に生まれはしないからだ。

 毎日押し寄せてくる怒涛の雑務に追われながら、やろうと考えていたなにかを、
「余裕ができたらそのうち……」
 といって先送りした経験が、あなたにはないだろうか? それを実現できたことがあっただろうか?

 ないはずだ。

 ほんとうに大切なことは、まずいちばん最初にやらなければならないのである。そうしなければ、いつまで経ってもやることはできない。「時間管理のマトリックス」を見て欲しい。第1領域を優先している限り、第2領域に手をつけることは決してできないのだ。

 それが大切なことならば、まずいちばん最初に手をつけること。そうできないのなら、それは永遠にできないということだ。

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「たかがブログをやったぐらいで努力だって? 甘いんだよ」
 数年前に、とある読者からお叱りをいただいた。東大の大学院を出てどこかの研究所で遺伝子の研究をしておられた女性と記憶している。いわゆるエリート中のエリートだが、ひょんなことからこのブログにやってきて、以来ひそかに応援してくださっていたらしい。

「ひそかに応援」されていたことをぼくは知りようもなく、初めていただいたコメントが上記のようなものだったので、唐突に非難されて対応に苦慮したが、それはさておき、この人の主張は、要するに自分はたいへんな努力をして今の地位にいるので、おまえの努力なんか努力のうちに入らない、ということだった。

 たしかに、屋根付き風呂付き布団付きで日々の出来事を適当につづっているだけなら、そんなものは努力とは呼ばれないだろう。ただの息抜き、ひまつぶしに過ぎない。しかし、このブログでは、まずなによりも書きっぱなしじゃない、「他人に読んでもらうための文章」(別のいい方をすれば「お金を取ってもよいレベルの文章」)に必要な調べごとや推敲といった作業が欠かせず、しかもそれを路上で生活しながらおこなうのはきわめて困難だったということだけは、どうかご理解いただきたい。

 前述の女史にしろ、夜半に襲ってきた眠気を覚ますために、自分の太腿にペンをブッ刺して血だらけになりながらも歩きつづけた、という経験はないだろう。しかし、ぼくのブログはそうした生きるための努力を経て書かれている。だから、申し訳ないけれど、やっぱり努力はしたんだという気もしている。たしかに、たしかに、たかがブログ、ではあるにしても、だ。それがエリートに劣る努力であったとは、必ずしも思えないのである。

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「ふつうのブログを書いている人は読んでもらうだけでうれしくてコメントをもらったら大満足、それなのに健次郎は……」
 というご批判もあった。

 だが、いうまでもなくこのブログはふつうのブログではない。それはむろん、ホームレスのブログであるという意味ではなく、すなわち筆者自身のために書かれたブログではないということだ。

 このブログは、人のために書かれている。人に読ませるために書かれ、人に読んでもらうために書かれてきた。個人の日記や備忘録、主義・主張、活動報告などとはまったく異なる性質を持ち、おのずとその目的も、求める結果も、求める質も、すべてが異なっていた。

 これは文章技量云々の問題ではない。ふつうのブログとは最初からスタート地点がちがうということなのだ。けれど、それを補うだけの技量がなかったのも事実である。この点はお詫びしなければならない。

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 どこがまちがったのか、と思う。ぼくの人生のありさまとこのブログのていたらくが重なって、それはまるで双子の兄弟のようである。いったいどこがまちがったのだろうか。

 数年前、川崎でホームレス支援施設の建設が取りざたされたとき、ぼくはホームレスに無知な住民たちに横から口を挟みつづけた。
「知らないならぼくが教える。ぼくを使え。役立ててくれッ!」
 そういう気持ちだった。だが、彼らは結局、話をまともには聞こうとせず、ぼくを役立ててはくれなかった。

 ホームレスのボランティアたちなら役立ててくれると思ったが、これがどういうわけか徹底的に無視されるばかりで、ぼくを役立ててくれるところは最後まで現れなかった。ボランティアの世界ではよく「支援する側とされる側の境がなくなってゆく」といわれるが、実際にはそんなことはない。そこに高い壁は厳然と存在しているのだが、なにかの甘言によって見えにくくされているだけである。

 ニートやネットカフェ難民が社会問題化してくると、ようやくぼくの時代がやってきたと喜んだ。ぼくは少々登場が早過ぎただけで、やっと社会問題が追いついてきたのだ。これでぼくを役立ててくれるところが現れるだろうと心が躍った。だが、それが格差と呼ばれ貧困が叫ばれるようになっても、ぼくは相変わらずパーティ会場に入れなかった。眼には見えないが、たぶん屈強な警備員がいるにちがいない。

 しかたがないので、インターネットの場末でちいさなお店を開きつづけながら、ブツブツと繰りごとを並べ立てるだけになった。そのあいだにも社会は猛烈に進んで、あちこちで新たな問題が表面化し、新興勢力が立ち上がり、新しい顔ぶれが続々と登場しては、華々しい花火を打ち上げていた。ぼくは場末の酒場で飲んだくれ、ブツブツいうだけになった。

 どこがまちがったのだろう? どこがまちがって、ホームレス問題をはじめとするこれらの社会問題からも、ぼくは排除されてしまったのか。ぼくはホームレス業界にさえ「居場所」を持つことができなかった。この業界からも相手にされず孤立し、「戦力外」を通告された。なぜなのか。答えはいまだに出ない。出ないままに終わるのが悔しい。

 けれど、後悔はしていない。ぼくはぼくのしてきたことが正しかったと知っている。どこがまちがったのかはわからないが、しかししてきたことは正しかったと「知って」いる。どこかでまちがって、ボタンを掛けちがえてしまっただけだ。だが、服の着方はこれでよかったのである。

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 日本で相手にされなきゃ海外進出だというんで、英語のブログを立ち上げたこともあった。アメリカの著名なホームレスブロガーと連携しようとしたが、なかなかどうも受け入れてもらえなかった。ぼくは英語がさっぱりなので、記事を書くのもやたらと苦労が多かった。アクセスもほとんど伸びないまま、ときどきやってくる人はなぜか日本からのアクセスばかりで、こりゃぁダメだと手を引いたものだ。

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 ひとつ、手をつけられなかった作業があった。ホームレス情報を一覧できるサイトの制作だ。といっても、そこを読めばすべてわかるということではない。ホームレス関連の情報を知りたい場合、そのサイトにやってくれば、目的のサイトに誘導できる仕組みである。ホームレスに関するあらゆる情報が、そのサイトを中継して流れてゆく。ホームレス情報に特化した検索システム、「ホームレス・サーチエンジン」である。

 実はこれと似たことが、海外では試みられている。世界中のホームレス情報にアクセスできる仕組みが、しかもホームレス自身の手によって作られようとしているのだ。

 ぼくの考えた「ホームレス・サーチエンジン」は無料ではできず、サーチエンジンシステムを組み込むサーバーが有料のために断念したのだが、それほどむずかしいことではない。作ることより内容の吟味のほうがはるかにむずかしいが、時間をかければ可能だろう。

 ホームレスについて調べたい人は、簡単に目的の情報を見つけることができる。支援団体について知りたければ、やはり簡単に探せる。行政資料にも簡単にたどり着ける。ホームレスになりそうな人、あるいは現状がホームレスの人は、危機回避や脱出方法の情報、あるいは相談できる組織が一覧できる。もちろん求人情報もある。ニュースもすぐに手に入る。ホームレス自身の運営するサイトだってすぐに見つかるのだ(笑)。

 どこの団体がいつなにをするか、あるいはしたか。炊き出しや相談事業の情報、ボランティア募集、寄付・募金の概要や、活動実態。ホームレスとはなんであるかの解説情報、行政の施策やその実績。相談窓口の種類や所在地の情報。ホームレスに関するニュースなど、そういった情報に簡単にアクセスできる仕組みを作ることを考えていた。

 取っ掛かりして、ほぼすべての支援団体とボランティア個人、ホームレス当事者、主要な行政資料へのリンク集を、はてなアンテナを用いて作った。手作業での登録が面倒なので頓挫したが、元々はてなアンテナは更新情報を知るためのシステムなので、情報の整理には向かず、選択を誤ったかも知れない。

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 別のアイディアもあった。「ホームレスゲーム」を作ることである。

 ぼくの知る限り、ホームレスを題材にしたゲームは2種類しかない。ひとつは家出少年がホームレスとコミュニケートしながら敵を倒してゆくRPGで、もうひとつは空き缶を集めたりエサを拾ったりなど、ホームレス生活を体験するシミュレーションゲームだ。一見、後者はおもしろそうだが、実はものすごいチープなゲームで、たぶん現在は手に入らない。

 ぼくが考えていたのはシミュレーションだが、さまざまな状況からホームレスになるまでと、その生活、そして脱出までをシミュレートするソフトである。路上に堕ちることを食い止めるむずかしさや、路上で生き延びることのたいへんさ、そして這い上がることの困難さなどを、ゲームをプレイすることで体験できるというものだ。ホームレスを知るという意味では教育ソフトに近い。

 もうひとつ、「ボランティアゲーム」というアイディアもあった。これは上記のゲームとは逆に、ホームレスを支援するボランティアのシミュレーションゲームである。個人的に支援するか、あるいは団体に所属してボランティア活動をつづけ、NPO法人を立ち上げるなりして活動を広げ、広報をしたり資金を集めたりの経営要素を織り交ぜながら、全国のホームレスを路上から救い上げてゆくゲームだ。

 後者のほうがむずかしいつくりになりそうだけれど、ゲームバランスさえ取れていれば、両者ともなかなかおもしろいゲームになりそうだし、教育効果も期待できて、これはおもしろいアイディアだと自負していた。学校あたりで採用してくれれば、パンフレットなどよりはるかに高い効果が考えられた。

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 ぼくがネットで書きはじめたのは、ホームレスを非難する市民たちと支援者とのあいだに橋を架けようとしたことがきっかけだった。まるで父親と母親のケンカに割って入る子どものように、対立していがみ合う両者をなんとかして結びつけたいと考えていた。それには、両者のあいだにネットワークを作るのがよいのじゃないかと思ったのだ。

 この考えは、その後、ホームレスに関心を持つすべての人々を結びつけるネットワークの構想にまで広がった。ボランティア団体もてんでバラバラに動いていては効果性が低い。批判的な市民もがなりたてているだけでは話を聞いてもらえない。ホームレス当事者も口をつぐんでいてはなにも変わらない。行政も自分の都合で好き勝手やっていれば非難の嵐になる。支援したい企業もなにがどうなっているのか全体像がつかめなければ手を出しにくい。

 それは閉鎖的なコミュニティ内部でのつながりではなく、外に開かれたネットワークによるつながりである。仲間うちだけでワイワイ盛り上がるのではなしに、外の世界とのつながりの中で人が生き生きとした姿を見せることこそが、ほんとうのつながりであると考えていた。

 コミュニティのような内集団は、外集団に対して排除的に作用するから、内部に入るまでがたいへんなのだ。その壁をネットワークは簡単に飛び越えてしまう。とりわけ、コミュニケーション能力不全の人間にはありがたいシステムだろうと思っていた。パーティでは壁の花になってしおれてしまう人間も、ネットワークの中では花を咲かせることができるはずだ。

 しかし、ホームレス業界はそうは動かなかった。「地域のつながり」というようなことばに代表されるように、ちいさなコミュニティに収束してゆくことを選んだのである。したがって、この業界にはネットワークがほとんど存在しない。あってもかたちだけのものだ。組織や個人といった個々の存在は相変わらず孤立したまま、あるいはオトモダチどうしで内輪で仲良く盛り上がっているだけである。それがよいことなのか、ぼくには判断がつかない。

 ……いや、ほんとうはわかっている。むろん、彼らはまちがっているのだ。まちがった方向へと進んでいるのだが、この個別主義的な流れは時代背景も手伝って、おそらく止まらないだろう。

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 ひとりのホームレスがなにかをやるといっても、所詮は線香花火に過ぎないのである。線香花火の火が消えてしまえば、また路上に逆戻りしてしまう。だが、一尺玉を打ち上げる連中は、危機に遭っても路上に這いつくばる経験はしないで済む。ぼくは数日食事を取らず、その分をこのブログを書くためのネットカフェ代に充てることも多かったが、彼らは毎日の食事を犠牲にしてまで花火を打ち上げはしない。この差は決定的である。

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 結局、「ミッドナイト・ホームレス・ブルー」とはなんだったのか? 例によって、なにも成し遂げることのできない自分を再確認したのみではなかったか。人の期待を裏切る自分を改めて確認しただけではなかったか。

 過大に評価されることも多かったが、実際には単なる場末のブログであった。来訪者は1日数百人に過ぎず、ときに募集したサポーターも片手の指で十分に足りる人数で、比率としては圧倒的に低かった。最近、アフィリエイトによる収入について訊かれたが、そんなものは1年に一度あるかないかなので、近頃はすっかり忘れていた。

 ホームレスについて人々の理解を深めたとはいいがたく、ブログを通してなんらかの収入を得たり、あるいはサポートの窓口として機能させる実例を示し、ホームレス脱出方法の新しいモデルを提示することも、実質的にはできなかったといえるだろう。

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 共感を呼びにくい内容だった、ということもあろう。このブログに書かれているのは、かなり厳しくむずかしいことが多かった。人は「楽」に流れやすい生き物だ。むかしから、厳しくむずかしいことは人のあいだに広まりにくい。

 当初はご意見番程度の気楽な気持ちで問題点を指摘していただけだったが、反応が非常に鈍く、徐々にエスカレートした経緯もある。初期の記事は落ち着いていて穏やか、コメントも理性的だけれど、後期の記事ではかなり荒れている。

 とりわけ、ボランティアの反応がすこぶる悪いことに苛立った。学者や学生は頭でっかちで屁理屈ばかりこねていて、そのくせ指一本動かそうとしない。現場は目先の世界ですべてを判断し、全体を見渡そうとしない。山を登る人は増えたが、頂上を目指す人は数少ないのだろう。誰も手をつけていないむずかしい領域にチャレンジする人は少なく、先達のうしろにくっついて簡単なことばかりしている人が増えた。「楽」をしたいボランティアがこのブログに共感しないのは、ぼくにもよく理解できる。

「彼らには彼らの生活があるのだから、ボランティアに期待するのはおかしい」
 というご意見をいただいたこともあった。もっとも、この人は路上生活の豊かさを主張し、社会復帰する意思を持たない厭世的なホームレスだから、もとよりボランティアの支援など求めるはずもない。支援を必要としている多くのホームレスとはおのずと立場がちがうので、これを、
「ハイ、そうですね」
 と受け入れるわけにはゆくまい。支援を看板にしている以上、たとえ無償のボランティアであろうと、なにがしかを期待されるのは当然である。

 あるベテランのボランティアが、
「あまりうるさいことはいわないようにしている」
 みたいなことをおっしゃっていたこともあった。まぁ想像するに「やる気をそいでしまう」からなのだろうが、初心者のうちはそれでよいにしても、長くつづけようと思ったら壁にぶつかるのはあたりまえで、ちょっとうるさくいわれたぐらいでやる気がなくなるのでは遅かれ早かれやめてしまうだろう。

 褒めて育てることが基本であろうとも、しかし必要なときにはきちんと叱らないと、車で5合目まできて売店で買い物をして、
「富士山に登りました」
 といっているような人ばかりになってしまい、そこから徒歩で先へ登ろうとする人は現れない。

 ボランティアのような無報酬の活動は、モチベーションの維持が個々人にゆだねられている。給料のアップや昇進などといった外部からの働きかけができないので、モチベーションを高める作業は自分自身でやらなければならない。外からは誰も報酬をくれないから、志が低いとつまづきやすいのだ。

 ……と、このブログでこういうことを書きつづけてきたところ、ぼくがボランティアの人たちを嫌っている、とカン違いしている人もいるようだ。そうじゃない。ぼくは好きとか嫌いとかで書いてきたわけでは決してない。ボランティアさんたちに、もっと先へ進んでもらうために書いてきたのだ。したがって、なにを考えどう行動しているか、その内容しか見ていない。誰が好きで誰が嫌いとかの感情はほとんどないし、またそのレベルで話していては先に進めまい。

***

 以前にも紹介したが、小泉構造改革以降、福祉の世界にも自己責任論者が増えている。とりわけ若い世代に多いけれど、彼らの主張をまとめると、
「ホームレスは危機管理が甘かったためにホームレスになったので自己責任。自分たちは懸命に働いているのに、ホームレスは脱出の努力もせずに遊んでいる怠け者だ。ビシビシ鍛えて自立させろ」
 というもののようだ。

 ホームレス差別主義者はよく、
「強制収容所で働かせろ」
 というが、福祉の世界に食い込んできた新自由主義者(新保守主義、ネオリベラリスト、ネオコン)も発想の根本はおなじだ。自分たちの怠け心をホームレスに投影し、それを非難することで自らの自己評価を高く保つのである。「妬み」が事実を歪んで認識させるのだ。

 彼らの活動は一見、弱者救済に見えるのだが、その目的は再教育と矯正によってホームレスを強制的に自立へと追い込み、自分に奉仕させることにある。相手の幸せなど問題外であり、単に現在の社会に組み込んで自分の利を得ることだけが目的なので、社会復帰したホームレスには彼らの足元に敷かれる第2市民としての位置しか用意されない。格下の人間として一生彼らの奴隷とされる位置を与えられ、彼らの優越感を満たすために利用されるのだ。これは弱者救済を装った新しい差別だが、すでに一部で起こりつつある現象だ。

 ぼくは新自由主義者を福祉に関わらせることには反対で、福祉職には適性試験かなにかを設け、ネオコン・ネオリベ連中を徹底的に選別・放逐すべきだと思っている。福祉の基本は「人助け」であり、そのスピリットは「相手の幸せを考える」ことにある。相手をかわいそうに感じたり憐れに思ったり心配する気持ちが、すべての福祉のスタート地点なのだ。

 しかし、ネオコン・ネオリベ連中にとって、他者の気持ちは埒外である。彼らの支援理由は自身の損得勘定にあるため、見かけは支援でも、やることが「人助け」になっていないのだ。ネオコン・ネオリベにはネオコン・ネオリベの使い道があるけれど、福祉職の適性はゼロといってよい。

 ただ、時代が進んで貧困問題がおおきく社会を揺るがすときがくれば、次から次へとホームレスが沸いてきて、そこらじゅうにホームレスがあふれかえるだろう。危機というのは管理できないからこそ危機なのだと養老孟司さんもいっていたけれど、そうなれば危機管理がどうの怠け者がどうのといった主張には誰も耳を貸さなくなるので、それほど問題にはならないのかも知れない。

 なにより、そのときには彼ら自身がホームレスになっているだろうし、そうなった彼らに向かって、
「おまえは危機管理が甘かったのだ。この怠け者めッ!」
 と唾を吐きかける役目は気が滅入る。ご免こうむりたいものだ。

***

 ……と、こういうことばかり書いているからいけない。やはり、ぼくの人間性がいちばんの問題なのだろう。ぼくは人から好かれる人間じゃない。人に愛されるホームレス像はたしかに存在し、それには誰であってもニコニコと接して、なにをいわれても、
「おっしゃるとおりでございます」
 と頭を下げつづけることが必要である。

 なによりホームレスは、相手よりも「バカ」でなければならない。経験上、これは絶対的な法則で、利口ぶったり対等に接しようとするとまずダメである。相手に市民としての優越感を抱かせることがキモなのだが、それゆえ屁理屈ばかりこねているぼくが嫌われるのは道理であろう。以前「タチが悪い」といわれたが、たしかにぼくはタチの悪いホームレスだ。

***

 ホームレス関連ではどうにもならなかったけれど、ホームページの作成技術を勉強できたのは幸いだった。

 実は、よそでこっそり無料のテンプレートを配布したりもしていたのだが、近年「ミッドナイト……」に眼を留めてくれた人がおふたりいて、サイトを作るように依頼された。ホームレス関連では誰もぼくを役立てようとはしなかったが、思いもかけぬところで役立ててくれる人が現れたのだ。

 ひとつはデザインはできたが原稿が用意されずキャンセルになったけれど、もうひとつは現在も稼動中で、悪戦苦闘しながらも運営をつづけている。

 技術的にも初心者を脱した感があり、これならなんとかお金を取ってもよいだろうというレベルのサイトを作ることができるようになってきた。
「ロクな仕事もせずにお金をいただいたら申し訳ない」
「他の人たちの迷惑になっている」
 といった脅迫感があまりないので、これが仕事の軸になれば社会復帰の道が開けるかも知れない。なんとか収入が得られないか苦慮しているけれど、広告を出してから数ヶ月経っても問い合わせすら1件もなく、先行きは非常に険しい。しかし、なんとかしたい。

 余談ながら、ホームレス関連の団体には、ホープページをチープにしたままリスティング広告(検索すると「スポンサー」と出てくるアレ)に資金投下して、貴重な運営資金を浪費しているところもあった。現状の支援体制ではこの手の広告は必要なく、またチープなホームページでは誰も読まないので、とんでもないムダ遣いで愚かとしかいいようがないけれど、これも無知ゆえであろう。

***

よくがんばりましたハンコ

 表彰状。自分殿。あなたは住む家のない路上生活者であるにもかかわらず、4年半もの長きにわたり、命と魂を削ってホームレスの情報を書きつづけてきました。たいへんよくがんばったので、ここに表彰します。平成20年11月22日。自分。

 ……お疲れさまでした。周りがどう見ていようと、自分で精いっぱいがんばったと思えるのなら、たとえビリでもそれは十分にがんばったのではないですか。人はトップを走っている人間にしか関心を寄せませんが、少なくともわたしは、あなたが必死で走りつづけていたことを知っています。よくがんばりましたね。おめでとう。

***

プロフィール

 最後に、読者の方々に心から感謝申し上げます。最後の最後まで減らず口を叩いているような場末のブログに、長いあいだお付き合いいただいてありがとうございました。サポーターの方々には、ギリギリのところを幾度となく助けていただき、そのたび生きながらえることができました。ほんとうにありがとうございました。

 ホームレス脱出を願いながらも社会からはすでに見限られているようで、また路上生活の環境は以前にも増して非常に厳しくなっていて、気力と体力を激しく消耗する路上からでは、これ以上の情報発信はきわめて困難になりました。このような中途半端なかたちで終了せざるを得ないことをたいへん申し訳なく思います。ごめんなさい。どうかご容赦くださいますように。

 なお、終了に伴い、ホームレス関連以外の記事を整理しました。そのため、一部の記事にいただいたコメントおよびトラックバックも表示されなくなってしまいましたが、なにとぞご理解くださいませ。

 それでは、これにてお別れ致します。長いあいだほんとうにありがとうございました。これまでの蓄積がどなたかのお役に立つことを願って。

平成20年11月22日 武州無宿・健次郎 拝

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