殺人刀と活人剣、武器執る者の掟、禅

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『よろずや平四郎活人剣』といえば、ドラマ化されたこともある藤沢周平の傑作時代小説だ。しかしこの「活人剣」とは、いったいなんのことだろう? 「かつじんけん」と読むようだが、字義どおりなら「人を活かす剣」だけれど、それはいったいどのようなものなのだろうか。

これは元をたどれば禅の用語で「かつにんけん」といった。これと対になるのが「殺人刀(せつにんとう)」で、「活殺自在」などということばはここからきているようだ。禅のことだから剣術とは無関係で、単に問答集、語録集のひとつらしい。

この禅の用語が、どういう経緯かで剣術の世界へと入り込む。とりわけ大きな影響を受けたのが、時代劇によく出てくる「柳生新陰流(やぎゅう しんかげりゅう)」だ。「剣術 – Wikipedia」によれば、親玉の柳生石舟斎宗厳(やぎゅう せきしゅうさい むねよし)は、構えがあるのを「殺人刀」、構えがないのを「活人剣」と呼んだという。これもよくわからないのだけれど、構えてこちらから仕掛けるのが「殺人刀」、構えず相手に仕掛けさせるのが「活人剣」ということらしい。相手の動きを活かして斬る、というのが「活人剣」ということのようだが、これはれっきとした刀法、技術のことだ。

この石舟斎の息子、柳生宗矩(やぎゅう むねのり)が将軍家剣術指南役になると、話はさらにややこしくなる。宗矩は、
「悪を斬るのが殺人刀で、悪を斬ったゆえに万人が活きるのが活人剣だヨ~ン」
てなことをいい出す。この人はのちに出世して柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)となり、息子にはあの柳生十兵衛(やぎゅう じゅうべえ)なんかがいるから、映画やテレビでもことさら有名である。

で、宗矩のいっていることは、すでに刀法ではないのである。これは心構え、心法だ。一説によれば、宗矩と交流のあった禅僧の「沢庵(たくあん)」の影響といわれ、この種の心法は「剣禅一如」と呼ばれているが、それまでは刀法技術であった殺人刀と活人剣を、将軍家(幕府)による治世に役立てようとしての考えだったという話も聞く。殺人術としての剣法を、君子論のようなものにまで仕立て上げようと意図したのかも知れない。

「活人剣」なることばはこうした経緯を経て現在に至るのだが、近年、「刀を抜かずに勝つ」あるいは「戦わずして勝つ」というような、平和的な意味合いで用いられることがあるようだ。しかし、こうした教えはむかしからあって、一刀流の開祖として知られる伊藤一刀斎なども同様のことをいっていたと記憶している。すぐれた剣術家ほど、みだりに刀を抜くことを戒めたようで、これは剣の恐ろしさを重々承知していたからなのだろう。

***

むかし、少しだけ居合をかじったことがある。今のご時世に刀なんぞを振りまわしているのは物騒な話だが、べつに人を斬ろうってわけじゃないのでよござんしょ。模造刀だし。剣道とちがい、相手がいなくてもひとりで練習できるので便利だし、よい運動にもなるしね。

居合の術はふつうの剣術とちがって、刀を構えて相手と立ち会うものではない。斬ると決めた瞬間、あるいは反射的に、迷いなく抜きざまにぶった斬る、一撃必殺、瞬速の業である。やはりむかし、オモチャの鉄砲で早撃ちをしていて、全国レベルの大会で上位に行ったことがあるのだけれど(笑)、両手を挙げた状態から合図と同時に腰の銃を抜いて3人の頭を精確に吹っ飛ばすのに2秒はかからない。こちらも凄まじいスピードだ。

で、ぼくは居合の業のほうはぜんぜんさっぱりだったのだけれど、刀を持つ者の心というか、掟のようなものを、自己流ながらちょびっとだけ学んだ気がした。そして、稲見一良さんの手になる小説『銃執るものの掟』じゃないが、銃のような危険物を扱う人間の掟にも考えが及ぶ。

黒澤明監督の「椿三十郎」、いうまでもなく最近リメイクされた作品ではなくオリジナルのほうだが、三船敏郎演じる凄腕の浪人に対して、品格のある家老の奥さんかなにかが、
「あなたはよく切れる刀だが、ほんとうによい刀は鞘に納まっているものだ」
みたいなことをいうシーンがある。

うちの先祖は代々百姓なのだけれど、何代か前のじいさんが江戸時代末期、大八車を引いていたら、誤って武士の刀の鞘にぶつかってしまったそうだ。相手の若い武士は「武士の魂を傷つけられた」とばかりに烈火のごとく怒り、謝りに謝るじいさんを手打ちにしようと刀の柄に手をかけたが、割って入った年配の武士が相手をなだめて刀を抜かせなかったため、命拾いをしたという。もし刀を抜かれていたら、おそらくじいさんの命はなかったのである。

テレビ「水戸黄門」では、助さん格さんは簡単に刀を抜くが、峰打ちで、斬らない。むかしは斬っていたのだけれど、なんかいろいろ事情があるのだろうな。ただ、刀というものは峰打ちをすると折れやすいため、実際にはとても危険なことだと聞いたことがある。

斬らないといっても鉄の棒で殴られりゃ大怪我するわけで、ウソかまことか、江戸時代には斬られて死ぬよりも峰打ちされて死んだ人のほうが多かったなんて話もあるぐらいなのだ。そもそも斬らずに峰打ちするぐらいなら、はじめから抜かなければよい話だ。

安手の刑事ドラマなんかでも、凶器を持つ犯人の手を撃ったりするが、実際にはあんなことはおこなわれない。手は小さいから外す危険もあるし、当たったところで犯人の行動を止められる保証はない。プロの射撃の訓練には、手を撃たれたら即座に銃を持ち替えて反撃するメニューすら存在するのだ。相手が熟練者なら、こちらが命を落とすことになる。「撃つ」という判断は、犯人の行動を抑えなければならない、常にギリギリの状態でおこなわれるのである。

刀はギリギリまで抜かれず、銃もギリギリまで抜かれない。
相手を倒さねばならぬ覚悟を決めて、そこで初めて抜かれるのである。
したがって、抜かれた以上、一撃必殺、必ず相手を倒す。
相手を倒さぬまま、鞘やホルスターに戻ることはない。

これが、ぼくの知る、武器執る者の、ただひとつの掟だ。

それゆえ、いにしえの達人たちは、みだりに剣を抜くことを戒めたのだろう。

***

世界には常にふたつの極がある。光と影、善と悪、正しさと間違い、勝ちと負け、強者と弱者、生と死、好きと嫌い、個人と社会、権利と義務、男と女、プラスとマイナス、マクロとミクロ、有機物と無機物、上と下、右と左、前とうしろ、高いと低い……。およそあらゆるものがふたつの極から成っており、相矛盾するこれらの極は、常に対立し分断されているものである。

「敵と味方」もそのひとつだ。味方を作ると、味方というその概念が、今度は敵を作り出す。あれは味方でこれは敵、という考え方が出てくるわけである。そういった事情から、ぼくは若いころから「味方」というものを作らずに生きてきた。

ふつうは敵を作らないようにするものだが、ぼくはどういうわけか逆を行ったのだ。そこにはおそらく「敵を作らずに味方だけ作ろう」とする一般的な考え方に、どこか虫のよさを感じる心があったのだろう。ぼくは、味方がいなければ敵もまたいないはずであると考えたのだ。矛盾し、分断されているはずのふたつの極を、ひとつの概念で捉えようとしていたのかも知れない。

同様に「偏る」ことも避けてきた。中庸などということばもあるけれど、より多くの概念を有するという意味で、これは平均(アベレージ)ではなくメジアン(中央値)だ。なにかに対する意見はたいてい偏りを持つが、ぼくは偏っていることを知りながら表明するので、次回にはまったく反対の立場から意見を述べることもある。そうすることでバランスを取るわけだが、はたから見ると矛盾していて一貫性がないので、朝令暮改のインチキ野郎に見えることもあるようだ(笑)。しかし実際には、両者を併せた中央に道はあり、その点で一貫性は保たれているわけである。

堅苦しさが過ぎる人にはフランクに接し、馴れ馴れしくし過ぎる人にはきちんと接することも多い。これもまたバランスを取って中央をゆこうとする表れだ。「相手によって接し方を変えない」という一貫性を保とうとする人も多いけれど、ぼくはまったく臨機応変である。

いつ思いついたのか、あるいは聞きかじったのか忘れたが、なにか目指すところを目指して道を歩いてゆくのではなく、自分自身が道そのものなのである、という考え方も、いつのころからか身に着けてしまっている。

禅でもおなじようなことがいわれているのを、最近知った。あるいは禅だけでなく大乗仏教、または仏教全体でいわれていることなのかも知れないが、禅には対立し矛盾するものをひとつのものとして捉えようとする考えがある。あるいは極端に偏らない「中道」というものもある。また、悟りを目指して修行するのではなく、すでに悟りそのものなのだ、というようなこともいう。

ぼくは神や仏にはまったく興味がないし、悟りなどどうでもよいのだけれど、自分の持つ価値観のいくつかがその道の考えと似ていることに、いささか戸惑いを感じざるを得ないのである。いうまでもなく、その道とぼくとでは考えの深さに大きな隔たりがあるのだが、それにしても人間という生き物を生きていると、どこかしら似たような思いが出てくるものなのだろうか。

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