ぼく自身、常に自分の在り方におおきな戸惑いを覚えている。このトピックを書くことは、ほんとうに必要なのか? 読者はどう感じるだろうか? 不愉快にならないだろうか? 少なくとも、楽しい気分になることはないだろう。そんなトピックを書くことが、ほんとうに必要なのか? といった疑問である。そうして、結局はそんなトピックを書いてしまうぼく自身の在り方に、常に、常に、戸惑う。
たとえば、付き合いをやめたとはいえ、仮にも一時はお世話になった人々への苦言をネタにトピックを書くことは、ほんとうに正しいことなのだろうか? さまざまな行き違いからケンカ別れすることになったのだとしても、世話になった以上はただそのことのみを感謝して、ほかのことには眼をつむるべきなのではなかろうか?
おそらく、そうすることが人の道にちがいない。ぼくはまちがっているだろう。たぶん、恩を仇で返すという、人の道に外れることをしているのだと思う。それゆえ、このブログは多くの人たちにとって楽しいものではなく、むしろ不快でさえある。それはいうまでもなく、ぼく自身が不快な人間であるからだ。
「外道」、ということばがある。文字どおり、道を外れることを指す。ぼくは人の道を外れている。外道、といってよい。外道で悪党。それがぼくだ。
ぼくがホームレスなのは、外道で悪党だからだと思う。人の道を外れた悪党だから、ぼくはホームレスなのにちがいない。善人も尻尾を巻いて逃げ出す外道なホームレス悪党。それがぼく。もちろん、自業自得に決まっている。
もしかすると、ぼくは人の喜びを自分の喜びとするような、善人になりたかったのかも知れない。他人の役に立つことを喜びとするような、善人になりたかったのかも知れない。誰かに笑顔を取り戻させるような、善人になりたかったのかも知れない。
だが、このていたらく。
……もう充分だ。外道には外道の道がある。悪党には悪党の道がある。きのうの友は今日の敵。仮面の善を斬り捨てろ。善人もどきを叩き斬ってしまえ。恩など捨て去りすべてを仇にせよ。薙ぎ払えッ! 叩き斬れッ! 焼き尽くせッ! 外道な悪党の道をゆけッ! 神と仏にゃ地獄で詫びよう。地獄で会おうぜ、ベイビィ。