心配してくださるのだろう。最近になって時折、お仕事のお誘いを受けることがある。うちの会社で働きませんか、というものがほとんどだ。ぼくのような人間に対して、とてもありがたいことである。感謝に堪えない。感謝に堪えないが、みな、お断りしている。正確には、ご返事を差し上げていない。
理由はさまざまだけれど、「職場」というものがある以上、そこには必ず対人関係が存在し、それをそつなくこなしてゆく自信が今のところ、ない。あるいは若い人は経験が少ないために不安になるが、ほんとうは世間で仕事と呼ばれているもののほとんどは、たいていの人間がそこそこにこなせる作業なのだ。問題は、要求される以上のレベルでこなせるかどうかである。
近ごろ、派遣の現場などでよく問題になっている、無茶なレベルの要求を突きつけておきながら部下を罵倒する上司などは、これはいわゆるモラル・ハラスメントの類だから徹底的に対抗してゆけばよいのだが、そうではなくて自分が自分に課したレベルをこなす自信が持てないうちは、一緒に働く人たちや会社に迷惑がかかるという思いから逃れられない。
こういうところをクリアしてゆかないと、ぼくはまたぞろ過去に歩んだ道を繰り返すことになる。人が1時間かけてやることを50分で済ませ、残りの10分は裏へ行って一服しているのは非常に気持ちのよいものだけれども、それは要求されているレベルが低いからで、自分でハードルを設定すると、こうはゆかない。残りの10分で他の人の1時間分をこなすのは無理なのだが、わかっていてもそういう部分から壊れてゆく。今はまだおなじ轍を踏むのが怖い。
それと、仕事のお話を持ちかけてくる人が、どこか高飛車なのも気になる。問題を抱えている人間を拾ってやるんだという気持ちが透けて見えるのである。たとえば、ある担当は「生きてゆく厳しさ」だの「困難に立ち向かう勇気」だのとおっしゃって、「その気持ちがあるのなら」という。
バカいってんじゃねぇよ。俺は、てめぇなんぞが100人束になってもかなわねぇ困難てヤツに立ち向かってきたんだぜ。どうあがいてもどうにもならねぇ厳しさってヤツに耐えてきただぜ。ふざけるんじゃねぇ。ホームレスをナメてやがるとぶっ飛ばすぞ、コノヤロー。
というところがぼくの本音である。また、彼らを見ていると、このブログなど2、3ページ読んだだけでメールをよこしている。こちらの事情やこれまでの経緯など、まったく調べないのである。プロフィールさえロクに読んでいない。それで声をかけてくる、その神経がわからない。
また、ある方は、路上に堕ちる以前の生活レベルの記憶が、立ち直りの邪魔になっていると指摘する。そのために「生活意識のリセット」だのとおっしゃり、ゼロからのスタートとして素朴な田舎暮らしを勧める。
一見、もっともなご意見だが、条件に「踏ん張って再起動に必要な足元を固める覚悟があること」という。この一文で、この方が相手をどう思っているかがわかってしまう。「覚悟があるか?」とは、自分はその厳しさを知っているが相手は知らないと思っているときに使われる常套句なのである。つまり、相手に対する侮りと見くだしなのだ。それを私が鍛えてあげましょうという、ありがたいお申し出なのである。
わざわざご親切にどうも。ただ、それ以前にまず、てめぇのそのカボチャ頭んなかを引っかきまわして脳ミソらしきものを引っぱり出してから、おとといきやがれってんだ。
というところがぼくの本音である。なんだろうと仕事さえ与えてやれば3べんまわってワンと吠えると思ったら、そりゃまちがいなんである。ホームレスをナメてんじゃねぇよ、コノヤロー。
と、こうしたトンマ連中がカボチャ頭を揺らしながらやってくる中で、しかしこちらの事情を汲んだお仕事の話を持ちかけてくださる方々もいらっしゃる。これはほんとうに、ほんとうにありがたいお話である。
これならばできそうだというので内心、勇んでいたが、こういうことに限って、住所がなかったり身分証明がなかったりすることがネックになってしまう。なんとかクリアせねばならないが、ホームレスというのはほんとうに厄介な状況だ。