人がホームレスになる主な原因として人間関係の喪失が大きく関わっていることは、「ホームレスのすべて」で触れたとおりである。それゆえ、たとえば「自立生活サポートセンター もやい」などでも、人と人とのつながりやきずなを重視した活動方針を持っているし、他にも「tenohasi」「さなぎ達」など、こうした方向で動いている組織は多い。
が、しかし、である。ぼくの体験からいえば、単なる「人間関係」や「人と人とのつながり」の復活だけでは、実のところホームレス脱却への大きなモチベーションとはなりにくいのだ。おしゃべりする相手が増えたり相談できる人が増えても、必ずしもホームレスから脱出する希望に灯りがともるわけではない。そこには「特別な人間関係」が必要である。それが、
「対等で信頼できる人間関係」
だ。対等とはすなわち支援・被支援を超えた、支配・被支配を超えた、与える側・奪う側を超えた、お互いの立場を超えてひとりの人間として敬意を持って向き合えるということだ。「わたしがあなたを助けてあげましょう」という人と対等な関係が結べるだろうか? ノー、である。はじめはいうことをきいていても、「わたしがあなたを」というそのパラダイムによって、そのうち相手は逃げ出そうとするはずだ。対等であるためには「わたしたちで一緒に」というパラダイムが必要なのだ。あなたが彼を助けるには、彼に助けてもらわなければならない。
信頼とはすなわち「相手を理解しよう」「相手を受け容れよう」とする気持ちである。この気持ちが基盤となってお互いのあいだに信頼が生まれる。あなたを理解しようともせず、受け容れようともせず、ただ自分の考え、方法を述べ立てる相手を、あなたは信頼できるだろうか? ノー、であろう。自分を理解しようとしてくれる、受け容れようとしてくれる人だからこそ、あなたはその人を信頼するはずである。
「対等で信頼できる人間関係」
これは単に支援者との関係にとどまるものではない。実際のところ、相手は誰でもよろしい。仮に支援者がまったく信頼できないとしても、ほかに誰か信頼できる相手がいるのなら、それはホームレス脱却の大きなモチベーションとなるはずである。支援者にしても、数多くのホームレスを相手にこのような人間関係を結べるものではない。必要なのは、そうした人間関係の構築を手伝うことなのだ。
ぼくがおよそ5年間に渡る路上生活から抜け出せなかったのは、この種の人間関係を構築できないからだった。いろいろな支援者やボランティアと接してもきたが、残念なことにぼくを理解し受け容れようとした人はただのひとりもいなかった。ただのひとりも、である。
それは現在、多くの実績を上げ、あるいはメディアに取り上げられ、あるいはまた地道に活動をつづけている支援者やボランティアすべてにいえることだ。誰ひとり、ぼくを理解し受け容れようとした人はいなかった。そして以後、彼らは延々とぼくを無視しつづけ、無関心を決め込んでいる。もはや誰ひとりとして振り向く者はいない。
しかし、そのことをとやかくいうつもりはまったくない。今は、そのような人間関係の構築ができるよう、現に彼らが支援しているホームレスを手伝ってあげなさいと伝えるのみである。相手を理解し、受け容れようとしてあげなさい。あるいはそうした人間関係をつくる手伝いをしてあげなさい。あなたにできるのはそれだけである。そう、それ以外、あなたにはなにもできないのだから。