ホームレスに関する数値やデータや生態……。人々が知らずにいて、知ることで知識が得られるだけの、実用書みたいな「情報」。そういうものから離れたいと思いはじめてからしばらく経つ。そのせいか、最近ようやく「ホームレスのブログ」ではなく、「武州無宿・健次郎のブログ」になりつつあるような気がしている。
誰が書いても変わらない、誰が書いたかは重要ではない、必要な情報を知ることができればよろしい、というようなものはすでにたくさんあって、いまさらぼくが書いてもおもしろくもなんともない。仮にも署名入りで書いているのだから、ホームレスに関心があるという人ではなく、健次郎の書くものはおもしろいと思ってくれる人を相手に書きたい。
ぼくがホームレスであろうとなかろうと、もうそんなことはどうでもよろしいと思う。だいたいぼくは、一般的にイメージされるホームレスとは、属性がいささか異なる。世間が「ホームレスとはこういう人のこと」だと定義しているようなタイプではない。
ドヤや飯場も知らず、ホームレスのコミュニティに属したこともなく、公園や河川敷に小屋を持ったこともない。炊き出しに並んだこともないし、支援施設の世話になったこともない。空き缶を集めたこともなく、むろん、ビッグイシューを売ったこともない。
路上に堕ちた当初から、ぼくはいかにも「ホームレスでござい」という行動を極力避けてきた。はた目にどう映ろうが、そしてしばし実際にホームレスとしてひどい扱いを受けてもきたが、可能なかぎり一般人と同等の態度を崩さなかった。現実の世界では、ホームレスの名札をぶら下げて歩くことは、できるだけ避けてきたつもりだ。
しかし、住む家はないし住民票も持っていないことに変わりはない。昼は公園のベンチで野宿、あるいは公共施設などの片隅でつかの間の仮眠を取り、夜は眠ることなく街を彷徨している。もっとも、ここ数ヶ月、野宿からは遠ざかっている。経済状態が多少好転し、ネットカフェで仮眠するケースが多くなったからだ。おかげでブログの記事も増えた。
ぼく自身、自分はホームレスを名乗ってよいのかどうか、ときに迷うことがある。世間がいう「ホームレス問題」は、ぼくのようなタイプの宿無しを受け入れるだけの土壌がまだ整っていない。そのためにステレオタイプのホームレス以下の存在と見られており、彼ら以上に冷酷に扱われることも多い。ホームレスであることは切り離せない属性だが、たとえばビッグイシュー販売員のように、それがプラスに評価されることはまずないといってよい。
ならば、いっそホームレスという属性なんぞ放り出してしまい、何者なのだか皆目見当もつかぬ得体の知れぬ存在として、何者にも属さない単なる一個人として在りつづけるほうが、むしろ生きやすいのではないかと思う。