次の文章をよくお読みいただきたい。
しかし、ホームレスについては昔から自己決定ではないですか?
なぜならわが国は自己申告の社会ですから。
道端で衰弱しようが瀕死をむかえようが、役所に自ら助けを求めなければ行政は助けませんし相手にしませんね。
なぜならホームレスになった理由のほとんどは、自分の選択肢がホームレスになる原因を作っていたわけですから。
自らの人生設計における危機管理が甘かったか、生き方が下手だったからなったわけです。~中略~人口が減少し稼得世代も減り、高齢者ばかりが増加するというのに、どうして体の元気なニートやホームレスが遊んでいられるのでしょう。
これにはぶっ飛んだ。なぜなら、これは「ホームレス研究会 -楽しく語るホームレス-」というサイトで、ぼくがホームレスの自己責任についてコメントした折に、運営者の方からいただいたご返答だからである。運営者の方は大学で社会福祉を勉強されていて、これからそうした方面のお仕事を目指しておいでの方だ。つまり、これから人を助けるために役立とうと思っているはずの人の発言なのだ。信じられぬ思いであった。まったく、信じられない。
ですから福祉の考え方もそうした意味で、昔のような保護的な措置・対応は減ると思っています。使える機能を最大限に活かして、活用する世の中になるでしょう。
わたしにはよくわからないのだけれど、このご回答は、いわゆる「構造改革論者」のそれだろうと思う。これからは自己責任と自己決定とで福祉行政は進められるのだと結論づけ、賞賛されているようだ。
どうやら、これからはこのような構造改革論者の方々が福祉の現場を席巻してゆくことになるらしい。構造改革論者の方々というのは、つまり、
「すべては自己決定により、すべては自己責任に帰すッ! 社会の問題を論ずるよか、まず個人をビシビシ鍛えよッ!」
という方々だとわたしは認識しているが、いわゆる強者の論理を用いる方々であろう。なによりすごいと思うのは、これからの福祉は、現場の人間が福祉の対象者を自業自得として扱う――対象者は自業自得であるという考えを持った方々が現場を取り仕切るということだろう。こいつはすごいことになる。
適当な例が思い浮かばないので話はそれるが、たとえばあなたがうつ病になったとき、カウンセラーが構造改革論者だとするならば、
「どうしました?」
「……どうも最近気分が落ち込んでやる気が沸いてこないんです。眠れないし疲れやすいんです」
「ああ、怠けてるんですねッ! ビシビシ鍛えましょうッ!」
あるいはあなたがガンになったとき、別の医者は、
「先生、それでわたしの病気はなんでしょうか?」
「ガンです、ガンッ! もう助かりませんッ! これもあなたの自己責任デスッ! 治療には天文学的数字の莫大なヒヨウがカカリマスッ! 金さえ払えるのならチリョウシマスッ! 払ってクダサイッ! デモ、タスカリマセンカラッ! ザンネンッ!」
……と、それと似たことが福祉の世界で起こるわけである???
たぶんすでに福祉の現場ではこうした方々が増えつつあるのだろう。そして、おそらくホームレスのボランティアという人々にも、このような考え方が浸透しつつあるのじゃないだろうか。それゆえに、いわゆる意欲のある者のみを支援し、その他は無関心を装うか隠蔽するといったことが起こりつつあるのだと思う。
このことは、たとえば「ビッグイシュー」などにも象徴されている。「ビッグイシュー」は売り上げの一部がホームレスの収入になる仕組みの、ホームレスの自立支援をうたった雑誌だが、商売ゆえにむろん販売にはかなりの意欲が必要だ。ボランティアサイト「ホームレスな人々<東京&埼玉>」では、
他の方々が書いたビッグイシュー関連のブログを読んでいて、大きな”?”を感じました。
~中略~「ビッグイシュー」を販売すれば、全ての「ホームレス」が救われる。
それ以外の「ホームレス」は怠けているだけなのだから、放置しておけばよい。現場を日々見ている私は、こういった考え方に同調できません。
これは現在ボランティアではなく、「ビッグイシュー」の趣旨に賛同する一般の人たちについての見解だろうが、こうした人たちがボランティアでもやってみようかとなったら、それはもう明らかに恣意的にホームレスを区別するボランティアとなり得るわけである。そして、わたしは現在ボランティアである人たちの中にも、すでにこうした「恣意的な区別を用いる」ボランティアが増えつつあるのではないかと危惧せずにはいられない。
……いずれにせよ、わたしたちはすごい時代を生きてゆかねばならぬことになりそうだ。年間3万人を超える自殺者など、いうまでもなくすべて自己決定・自己責任なのだから、こんなもんは放っておかなくちゃならねぇ時代が待っている。
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