7月以降、厚生労働省がニートやフリーターなどを支援する「若者自立塾」がスタートした。しかし、その内実は、早寝早起きなどの生活習慣を身に付けながら、職場体験などによって就労意欲を高めさせ、
「ニートの根性をたたきなおす(与党の有力議員)」(8月3日付・読売新聞)
ものだという。
「朝6時半起床。ぞうきんがけして農作業に出かける。生活の基本が身に着いたと○○さんに認められればアルバイトが許可される。2度脱走した。バイトを認められても何度もやめた。その都度、農作業からやり直した」(8月1日付・朝日新聞。伏字は筆者)
とは、10年ほど前の、とある共同生活寮出身者の体験だ。
同じく厚労省が推し進めるいわゆる「ホームレス自立支援法」も、自治体の施策はどこも大差なく、まずはシェルター(一時宿泊施設)にホームレスをとにかく収容する。次に自立支援センターで生活指導、そして就職を斡旋し、最終的には就業とともに民間の宿所に居住させようとしている。
こうやって見てみると、ニート支援もホームレス支援もその発想にちがいはない。かつての時代ならばそうしたであろうという公式を持ってきて、それによって正解を得ようとしているからだ。正解がないといわれるこの時代に古い公式を持ってくる、その発想だけですでに限界が見えている。
その不安を感じ取ってのものか、ニート支援について厚労省・職業能力開発局は、
「これで解決するとは思っていない。暗中模索の状態」(前出・読売)
としている。
わたしは、現在のホームレス支援策もニート対策もたいした成果は挙げられないと思っている。効果があるのはごく一部であろう。それも、おそらく元々放っておいても大丈夫だった層だろうと思う。
とにもかくにも働けば豊かになれる、だからとにかく働けば大丈夫。その想いは産業社会の成熟と共に完全に終結したといってよい。そして現出した世界。時代が、社会がおかしいとする声もある。都市環境がよくない、自然とのふれあいが大切などとして、非常に安直な考えで農作業を体験させたりする。過去への回帰だ。
しかし、時代に逆行している感は否めない。もはや先進諸国に追いつけ追い越せという復興の時代ではない。わたしたちが時代の最先端を生きているのはまちがいないのである。そこに古い公式を当てはめてもたいしたことにはならないだろう。それこそ就職できない博士たちの発想だ。
だいたい、なぜ農作業なのか? 必要なのは敬語の使い方であったり報告書の書き方である。ぞうきんがけするのはオフィスのデスクであろう。それを農作業に結び付けてしまうところに、恐ろしく安直でいい加減な自然回帰の発想を見る。農家に失礼というものだ。
これまで眼にしたニュースで、いくつか気になっているものがある。ざっとその要素だけを並べたててみよう。
- 若者支援の体験作業にホームレスへの炊き出しを組み込んでいるNPOがある
- 子供たちの間で囲碁のマンガがはやっている(いた?)
- パソコンが苦手な中高年の間で囲碁・将棋のネット対戦が流行している
- ネットカフェで将棋のゲームをやる中高年者は多い
- ホームレスで囲碁・将棋を好む者は多い
- ニートや引きこもりには頭の切れる人も多い
- 途上国の貧困解消を訴えるホワイトバンド運動が盛んだ
- 日本人は足元の貧困より地球の裏側の貧困に関心がある
- ホームレスの多くは建設・土木の技術を持つ
- ホームレスにはこれまでの技術を生かしたい気持ちがあり、雇用のミスマッチが起きている
- 価値ある情報を発信(アウトプット)しつづけている者が常に発展する(勝ち)
- 現代人は単なる日用品への支出には厳しいが、欲しいもの、納得できるものにはとことん金を使う
思いついたものを適当に並べてみたが、これらをゴチャゴチャッと混ぜてガラガラぽんッとして、いったいなにが出てくるだろうか? あなたにはなにが見えますか?
わたしはときどき、現代ほどおもしろい時代はないだろうと思うことがある。激変の時代だとか先が見えないとか格差が広がっただとか希望がないとか閉塞感に覆われた時代だとかいわれるのだけれども、それだからこそむしろおもしろい時代だと思う。
かつては「前例がない」として簡単に退けられていたアイディアを試せる可能性がある。誰も正解を知らない以上、公式を作ることができる可能性がある。考えようによっては、これほどチャンスのある時代はない。
先日、
「人生、諦めてます」
という人の書き込みを見た。だから、わたしはいう。
「まだ間に合うよ」