13日付の読売・神奈川両新聞によれば、川崎市のホームレス一時宿泊施設「愛生寮」は12日、施設運営協議会を開き、利用者が仕事などで得た収入の一部を積み立てる「愛生バンク」をスタートさせることを決めた。5月の連休明けにも実施したい考えだ。
ホームレスは住所がないので銀行口座の開設が難しい。そのため、収入などの一部を預かり、寮が持つ口座で積み立てておき、自立の際、アパートの入居費用などの経費に充てる。寮が必要と判断したケース以外、引き出しを認めない。自立時には返還するが、利息分は寮側で活用するという。収入を酒やギャンブルに使ってしまう者がほとんどなため、自立に向けて計画的なお金の使い方を身につけさせるのが目的だ。
バンクの利用者は相談員らと共に自立計画を練るが、その一方でバンクを利用しない者には施設利用期間を数ヶ月に限定、自身で自立計画を立てるように促すなど、厳しい措置を取る。また、生活習慣を改善させるため、利用者全員に地域での清掃活動などをさせる。
ということで、ひさびさの「愛生寮」ニュースだが、正直、虚を突かれた。もとより建築関係者、日銭を稼いで暮らしていた連中が多いわけだから、酒と博奕と女に明け暮れた日々を送っていたのであって、金銭管理など望むべくもないところ。まずはそこから手をつけて生活習慣を改めさせようというのは、なるほど、考えてみればあたりまえのことだ。あたりまえのこと過ぎて、わたしには思いもよらなかった。というよりも、「愛生寮」がこうした強行策に打って出るとは想像もしていなかったというのが本音だ。
これは多分にホームレスの矯正を目的とした強行策と思われるのだけれども、要するにホームレスの中核を成す層は、多かれ少なかれ矯正が必要な不良系だということだろう。あるいは、少なくとも、施設運営側はそのように認識しているということである。それが改めて浮き彫りとなったかたちだ。
だが、こうした対策が発表されるたび、わたしのような退却系などはほんとうに少数派なのだなぁと、つくづく身につまされる。ホームレスじたいがマイノリティなのに、その中にあってさらにまたマイノリティなのだ。まさに、マイノリティ中のマイノリティである。
不良系がマジョリティであるために、対策も彼らを中心に据えたものにならざるを得ない。このまま路上で死のうか、いっそ首でも吊ろうかと日々悩んでいるようなマイノリティは、行政の対策などからは漏れてしまうのが実情だ。そいつがなんとしても哀しい。
この際だ、正直にいおう。わたしにとってホームレス問題とは、退却系ホームレスだけの問題だ。不良系など知ったことではない。いっそどこかへブチ込んでしまってもかまわないとさえ思う。しかし、論理的に考えて、それではうまくゆかないだろう。だから、彼らにもそれなりの扱いを求めているだけである。わたしにとって不良系のホームレスは、たとえ彼らがマジョリティであっても、単に付属に過ぎないのだ。わたしにとっては退却系のホームレスがすべてなのである。
ニートや引きこもりに必要以上に言及するのも、彼らの中核層が退却・厭世系ホームレスと共通する部分が多いためで、彼らへの対策がそのまま退却・厭世系ホームレスへの対策となり得る可能性があるからだ。また、彼らの一部が将来ホームレス化すれば、それはまちがいなく退却・厭世系になるからである。だから、わたしはそうなって欲しくないがゆえ、いらぬことまでアレコレ言及してきたのだ。
マイノリティはダメだ。ほんとうにそう思う。あらゆるところから見落とされ、見捨てられ、打ち捨てられ、そして朽ち果ててゆく。大を生かして小を殺すという、その殺される側に常にある。マイノリティはダメだ。ほんとうにダメだ。