俺になにかを期待していた人がいるかも知れないが、残念なことにご期待には添いかねる。たとえば、俺が路上から脱出することを期待していたボランティアの人たちが当初わんさといたけれど、俺が期待を裏切ったので今はもうほとんど残っていない。すこぶるつきでカンのよいボランティアは初めからそのあたりを見抜いていて、ア~ンタッチャボーッ! 君子危うきに近寄らずで鼻も引っ掛けないが、要領のよさでは賢明であったのかも知れない。
むかしから、俺はこのようにして他人を裏切ってきた。あらゆる期待、大きな期待からあるのかないのかわからぬちいさな期待にさえ応えるために、ジタバタとやってきては不満足な結果しか残せず他人を失望させてきた。親、兄弟、恋人、友人、知人、教師……あらゆる人々の期待を裏切った結果、今、路上に在る。
俺は現在、人間関係の見切りが異常に早い。そこになにか期待の眼がほの見えるか見えぬうち、その気配を感ずるや否や、肥後同田貫をハンパな英信流でもって抜き放ち紫電一閃、そこかしこのものを断ち斬って見せ、
「ご期待には添えぬ」
などと臆面もなくホザく。期待したあとの落胆を思えばこそ、失望の哀しみを和らげてあげられれば……というのは真っ赤な大ウソで、むしろ失望からくる怒りを惹起させないための方便なのだが、これすなわち裏切り以外のなにものでもない。
「人の期待に応えたい」
というのは自己承認欲求と関わっていて、要するに他人に認めてもらうことで自分の価値を高めることなのだけれども、俺の価値はときを経るごとに急落しつづけていて、いい加減に底を打ってもよさそうなものだが、なお下落中。今やわが家族、わが生みの親などは、
「おまえなど、どこかへ行って死んでくれればよい」
と平然といい放つ始末であり、まだ生きていると知るやわが兄弟などは、みずから駆るスポーツカーで俺を轢き殺そうとまでしたという、いわく因縁つきの裏切りなのである。
そんなわけだから、俺はもはやご期待には裏切りをもって報いる以外、なにもできない。裏切りのみの人生を生きてきたので、裏切る以外なにもできないのだ。他人を失望させる以外に能がない。それが俺の唯一の才能だ。哀しくも、むしろ情けない人生だった。