いきなり仮説的結論。
ニートは、そして引きこもりも、結局のところ自己評価が非常に低い。詳しくは『ホームレス心理学』の一連記事に譲るが、今ここでいう両者に共通する低い自己評価とは、2種類ある自己評価のうち存在の価値のことである。今、生きて在る自分への根源的な信頼を欠いているため、能力の有無に関係なく自分には価値がある、そういう実感がないのじゃなかろうか。ひとことでいえば、あるがままの自分に価値があると実感できないのだと思う。
もうひとつの自己評価、すなわち能力の評価については、引きこもりの人などではわりと高いようにいわれている。なんだかとてもプライドが高く、自信過剰であるという話もよく聞く。実際、そうとうに頭の切れる人も多いわけで、こういう人たちが表舞台で活躍できないなんて、社会の損失以外のなにものでもないなんて思ってしまうのだけれども、それはさておき能力自体は、ときに自信過剰になるとしても、自身がある程度の評価を与えている。
けれど、能力があろうとなかろうと自分には存在価値があるという感覚を欠いているため、挫折などで能力の評価が傷つくと、それがただちに自分の存在価値を脅かす結果となってしまう。学習性無力感と呼ばれるものがあって、これは挫折を繰り返すことで徐々にやる気が失せてゆくのだが、挫折は通常、能力に対してのみ影響を及ぼす。
だれだって失敗ばかりしていれば、自分には能力がないのじゃないかと落ち込むものだ。だが、通常は一定期間を過ぎれば、それはたんに努力不足として認識され、新たなる活力が沸いてくる。それが存在の価値が低い人の場合、たんに能力がないと感じるだけでなく、自分が存在している価値までもがないと感じられるのだろうと思う。そこから活力は沸いてこない。
つまり、能力を否定されることはただちに自身の存在価値を脅かすので、それが不安で社会に出てゆけない。あるいは社会に出てはみたものの、ちょっとした失敗経験が自分の存在価値を脅かす。だから、すぐに辞めてしまう。当然である。存在価値が脅かされるということは、つまり生命が脅かされるのとおなじ意味だからだ。ニートや引きこもりには、理由のひとつとしてそういうのがあるのじゃないだろうか。
だから、基本的には自己評価、中でも存在の価値を高めることが、ニートや引きこもりからの脱出につながるように思う。この種の自己評価は、当初、乳幼児期における親の無条件の肯定的な受容態度で作られるといわれている。社会的にはまったく無力で役にも立たず、ときに邪魔でさえある子供をあるがままに受け容れ、愛し、喜びをもってその成長を見守ってゆく、そうした親の態度によって子供は自分が価値ある存在だと、まずは確信しはじめるのだといわれる。むろん、その効果が未来永劫つづくわけではないが、これは年を経るにしたがって、友情や恋人の愛情によっても培われ、また補充されるという。そのときどき、あるがままの自分を無条件に受容してくれる存在が必要だということだろう。
また、あるがままの自分を生きることで、存在の価値は高まるらしい。これは、人間に限らず動物には、内発的成長力という健全に成長しようとする力が生まれつき備わっているので、自然な環境であれば勝手に健全に育つとされるからだ。それがうまくゆかないのは環境の妨害を受けるためだという。ならば、あるがままの自分を生きることで、みずからの内発的成長力の発揮を促せれば、健全に成長してゆけるというのだが、そうなると、
「では、あるがままの自分とはなにか?」
というややこしい話になってくる。
するてぇと、
「やりたいことを見つけましょう」
とかありきたりの掛け声が大向こうから掛かって、ではと自分探しの旅に出てしまったりするわけなのだが、やりたいことがあってもハードルが高すぎて手が届かなかったり、そもそもやりたいことが見つからないから困っている人がいるんで、旅なんぞしたって見つかるかどうかもわからんわけだから、こうした掛け声はなんの手助けにもならない。
ところで、内発的成長力とは、持てる能力を使い切ったときに発揮されるものだそうである。運動のあとの爽快感、全力で課題に取り組んだときにもたらされる充実感。そうしたものによって発揮されるらしい。ちいさい子供を見ているとわかるけれども、とにかくどこでもやたらと走りまわり、ところかまわずキィキィギャアギャア、とんでもなくやかましいものだが、顔を見ていると、とにかく楽しくてしようがないといった至福に満たされた表情をしている。あれは全身の能力を使い切っているからで、おそらく最高に気分がよいのだろうと思う。
そうしたわけで、ならばとりあえず、
- 友達をつくる
- 恋人をつくる
- 思いっきり運動をする
- 全力で頭を使う
といった作戦で、第一歩を踏み出せないものだろうかと考えてみる。むろん、最初のふたつは、
「そもそもコミュニケーションが苦手」
という点から考えれば本末転倒な話なのだけれども、あくまでも原理として聞いておいてください。
★今日のポイント
- ニートや引きこもりは自己評価(存在の価値)が低い
- 自己評価が低いと無価値感に支配されるため活力がなくなる
- 能力を否定されると無価値感がさらに強くなるので、それが不安で社会に出てゆけない可能性がある
- 自己評価は、他者があるがままの自分をそのまま受け容れてくれる、無条件の肯定的受容という態度で高められる
- また、あるがままの自分を生きることで発揮される内発的成長力によっても高まる
- したがって、以下の方法が実行可能なら自己評価が高まり、ニートや引きこもりから脱出できる可能性がある
- 友だちをつくる
- 恋人をつくる
- 思いっきり運動をする
- 全力で頭を使う
というわけで、以上、この一連の記事、とりあえず現在までの仮説的な結論ということにしておく。あとのややこしいのは来年にしようよ、来年に。今年はもう残り適当でいいだろ。とりあえずクリスマスイブだしさ。ここまでやってきた自分になんかプレゼントしてやろう。
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