「自分に比べてあいつらは……」 ~「妬む」現代人~

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ホームレスにしろネットカフェ難民にしろワーキングプアにしろ、社会の最下層を生きていると、いろいろと風当たりも強い。中にはひたすら非難の姿勢を取る人たちもいて、これはもう振り払っても振り払ってもあとからあとからわいてくるので手に負えないが、この手の人たちは大半が下層の人間である。

金持ちはふつう、自分とは無関係な問題だと思っているので、とおりいっぺんの感想を抱いて次の日には忘れてしまうものだ。最下層を眼の敵にして噛みついてくるのは、似たり寄ったりの、自分も下層だと信じている層が多い。

これね、長いこと話を聞いていると、彼らの言い分は常に一緒なんだってことがわかるんだよね。つまりさ、
「俺たちはたいへんな中をなんとかやっているのに、こいつらは……」
っていう、もうこの思いだけ。ぼくも今までいろいろな非難を浴びてきたけれど、彼らの根底には、いつもこの思いだけが流れているんですね。これがさまざまないいまわしの責めことば、たとえば「甘え」だとか「自己責任」だとかになって表現されているだけで、根っこはみんな一緒なんですよ。

この気持ちの中身を分析すると、
「たいへんなのは自分だけ」
という、自分を特別視する自己愛の表れだってことになるんですが、自己愛ってのは、
「他人だってたいへんなんだ」
ということを理解しませんから、彼らにホームレスのことをいくら説明しても、決してわかろうとしないわけ。彼らにはどう説明しようが、すべてが言い訳にしか聞こえないんですよ。それはそうでしょう。自分のことしか考えていないのだから、他人を理解するつもりなど、はじめからないんですからね。まぁそういう人が増えているから現代は、「自己愛の時代」なんて呼ばれているわけだけど。

ただ、「自己愛の時代」なんていうとむずかしそうに聞こえますが、これって要するに「妬み」なんですよね。
「自分に比べてあいつらは……」
というのは、嫉妬以外のなにものでもないのね。その嫉妬が、
「ふざけやがってッ!」
という憎悪に変わってゆくわけだけど、その元は「妬み」なわけです。

そういうカタチで他人を妬む人が増えたって話なんです。ただ、ふつうは自分よりも上の者を妬むんだけど、現代では下の者を妬むのだと、そういうわけなのよ。それが凄まじい憎悪となって、インターネットなんかには溢れ返っているのね。

変な話ですが、ぼくが自分を幸せだと思うのは、この「他人を妬む」ってことがないことね。これはねぇ、ほんとうに自分を幸せだと思いますよ。なんでかよくわかりませんが、ぼくは他人を妬むってことが、まぁないやね。凄いとか大したものとか羨ましいねぇとかは思うことがあるけれども、そりゃ尊敬の対象としてそう思うのであって、攻撃の対象としてそう思うわけじゃないんで、まぁ他人さまに嫉妬した経験はちょっとないやねぇ。その点では幸せな人間だと思ってます。

他人を妬むのはひとつ、
「自分と比較して誰それは……」
という思考のプロセスに問題があるのだろうけれども、これは競争社会がどうたらということにもなるのかも知らんが、競争していても必ずしも嫉妬はしないんで、そこには尊敬すら生み出されるのだから、競争がイカンという理屈でもないと思うんだよね。

ずいぶん以前に、
「人と人とを比較するのはやめたほうがよい」
というような内容の記事を書いたことがあったんだけど、もう少し突っ込んで考えてみると、自分と他人との「差」に固執しないことが、他人を妬まないひとつの方法なんじゃないかと思いますね。あの、ぼくはともかく他人を妬んだりしない人って、どちらかというと他人との「共通項」を見つけることが多いみたいで、そういう人の話を聞いていると、まぁたいていはそういう話題なんだよね。

まぁ原因はいろいろあるのかも知らんが、しかし他人を妬む人は、これはたいへんな人生だろうなぁとは思いますよ。だって、ことあるごとに自分と他人の状態を比べてるわけでしょう? これだけだって疲れるだろうに、そのうえ比較の結果を攻撃という破壊的なエネルギーに転化してしまうわけだから、創造的なことはなにも起こらず得るものなんかなにもなくて、それはたいへんですよね。もの凄いエネルギーを費やしても、ただみんなぶっ壊れてゆくだけなんですから、要するにムダ働きでしょ。どうでもよいことにエネルギー使うわけだから、こりゃ疲れるよ、実際。

ぼくはなんで他人に嫉妬しないのかなぁって、ちょっと思うんだけど、ぼくの場合、自分と他人とを比較すると自己否定につながってしまって、他人を「妬む」という方向にゆかないんですね。まぁそのために仕事ができなくなってこんな生活に堕ちちゃったわけですが(苦笑)、それはともかく、意識の向く方向が、他人か自分か、というあたりが分かれ目なのかと思います。

それと、自己否定に落ちてもぼくが生き延びてこられたのは、やはりどこかに、
「人は人、我は我なり」
みたいな気持ちがあったんでしょうね。これも人を妬まずに済んできた要因のひとつかも知れません。人はみな、互いに別々の道を歩いているのだとしたら、自分は自分の道を歩いてゆけばよいので、他人さまの道を妬む必要はないからね。おなじ道を歩いていると思うと、前かうしろかという考えが浮かんで、妬んじゃうかもわかりませんが。

***

数年前、とある公共施設で、ぼくは職員の眼を盗んで数分間、横になっていた。ここは監視が厳しくて、寝ている利用者を見つけると職員がすっ飛んできて注意するという、なかなか個性的な場所なのである。利用者などいないに等しく、夏場などは涼みに入ってきただけの一般利用者でさえ、昼寝を決め込んでは職員に注意されるのだ。

まぁそこで横になっていると彼方に職員が姿を現したので、ぼくはむっくりと身を起こした。そういうわけだから、職員は、いい気になって寝ていたどこかのオッサンとバアサンを注意しただけで去っていったのである。

ところが、この夫婦は、どうしたわけか怒り狂った。
「あいつも寝ていたのに、どうして自分らだけを注意するんだッ!」
と、事務所に猛烈な剣幕で食ってかかっていったのだ。いわゆる「逆ギレ」である。

それだけならまだよかったが、なんとバアサン、
「おまえ、プータローだろうッ! この野郎ッ!」
かなんか叫びながらぼくの胸ぐらをつかんで、激しく揺さぶったり胸を突いてきたりするのである。

相手がバアサンだけにこちらも抵抗できず、ド突かれるままにするしかなかったけれど、オッサンが止めに入るだろうと思いきや、
「なんだぁ、おまえッ!」
かなんかいって、止めるどころか煽っているのだった。矛先が自分から逸れたのでホッとしたのか、職員もあいだに入らない。あれには参った。

まぁこんなふうに、ホームレスに対する憎悪は日常の中ではありふれたものだけれども、この初老の夫婦も、平日の真っ昼間にどこかへ遊びにゆく余裕もないままに、ブラブラと施設に入り込んで寝込んでしまった様子で、身なりもみすぼらしく貧乏が身に染みついたようであったから、これもまた「下の人間」に対する妬みであったのだろうと思う。

こういう精神構造は少しゆがんでいるんじゃないかと思うのだが、地べたに近いところで生きていると、世間にはこの種の人たちが存外に多いことがわかる。ホームレスであるということは、どこへ行っても日常的にあたりまえのようにこうした差別にさらされるということなのだ。増えているのか、あるいは隠れていたものが単に表面化しているだけなのかはわからないけれども、どこかでベクトルを変えてやらないと、最下層への風当たりは強くなるばかりで、差別はいつまでもなくならない。ため息が出る。

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