見えないものを見るために ~パラダイム転換~

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 これは「若い娘と老婆」などといわれる有名なだまし絵である。このひとつの絵の中に、ある人は娘を見、またある人は老婆を見る。見方さえわかれば簡単だが、わかるまでは、
「婆さんだって? 婆さんなんかどこにもいないじゃないか」
「これが若い娘に見えるだなんて、どうかしてるよ」
 などと別の見方を否定し、その存在すら信じないだろう。

 別の視点を発見するには頭のスイッチの切り替えが必要で、こうした「認識の切り替え」を「パラダイム転換」と呼ぶ。別の視点を手に入れることで、眼の前に広がる世界は劇的に変化し、そして広がってゆく。この絵でいえば、娘と老婆、両方を見る視点を持てるということだ。

 これを現実の世界にあてはめてみよう。たとえば若い娘だけを女性だと思っている人は、眼の前の景色の中に老婆がいても、それを女性だと認識することができないだろう。若い娘だけが人間だと考えていれば、老婆を人間としては見ないだろう。逆もまた然りである。一方だけしか見えない人は、もう片方を認識することさえできない。

 ゲーテはいう。
「我々は知っているものだけを見る」
 娘と老婆、両方を知ることで、初めて両方を見ることができるようになる。それまでは片方しか見ることができない。

 マイノリティであっても広く知られている存在の、そのボーダーライン上から下にいる者は、なかなか「そこに在る」ということを認識してもらえないことがある。ホームレスにしろワーキングプアにしろ、マイノリティの中のマイノリティは「眼の前に在る」ということすらわかってもらえない。たいがいは無視、素通り、あるいはカテゴリからの除外である。

 常に新しいパラダイムを求め、吸収し、頭を切り替えて、より多くのものを見ることのできる、多角的な眼を持つことが求められる。人の「進歩」とは「成長」とは、つまりそういうことである。

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