人情という名のお人好し

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NC-15 – 他者に対する想像力がなきゃ、いざというときに助けてくれる奴っていねえと思うけどな。」では、元ネタである「日々、とんは語る。 – 新しいホームレス。」に対する見解を述べている。6月12日放送分の「クローズアップ現代」(NHK)で触れられたネットカフェ難民について、元ネタは、

 今、クローズアップ現代でやっている、満喫に寝泊まりして過ごす日雇い中心の若者の話だけど、住所がないから良い仕事に就けないとか、お金が貯まっていないから日雇いを続けるしかないとか言ってるけど、結局は自業自得でしょ。

と「よくあるご意見」を書くのだが、それについて「NC-15」は、

 いい年こいてえらく想像力に欠けた考えというか。83年生まれだから24歳か。24歳でこんな考えっつーことは、よっぽど世間知らずか挫折知らないか、逆に修羅場潜りすぎて痛みに鈍感になってるかのどれかかなと。

 背景に対する想像力がなさすぎ。まともに育つ環境がなけりゃ、ネットカフェ難民にすぐ落ちるっての。

 家借りるにしてもまとまった金が必要だし、保証人だって必要なわけで。親がDQNだったらそこら辺も満足にいかないだろう。

 と、気持ちのよいほどあっさりと斬り捨てる。近年、人々の他者に対する想像力のなさが問題になることは多く、この後につづく、
「いざというときに頼れる友だちが大事」
「いや、友だちは頼るもんじゃない」
 という話も、どちらの考え方がよいかは別にして、ホームレス問題の世界では「人と人とのつながり」という表現となって、取りあえずは問題の中心を占めるようになってきてはいる。そういった意味で、この一連の意見は、ネットカフェ難民を含めたホームレス全般に関する話題の普遍的な例であろう。

 この記事のコメント欄には、つづいて次のような意見が書き込まれる。

そもそも家族ですら困窮しても助けてくれない場合があるのに赤の他人様がそう簡単に助けてくれるものかって思いますがね。(うぺぽ)

そうは言ってもこの世にはまだまだお人よしがいるのも事実。だからこそ詐欺たかりがいるわけだし。(イチロウ)

 これらは元ネタが、

 つまるところ、助けてくれる友達がいないのが原因ですよ。僕なんか、せっぱ詰まった時に1ヶ月くらいは食わせてくれそうな知り合いが最低でも5人はいますよ。仕事を紹介してくれる人も知ってますよ。

 と自信満々なのを痛撃しており、背景への想像力を欠いた批判に対して溜飲の下がる思いもさせるが、さて一般論として考えてみると果たしてどうなのだろうか。

 もちろん、いざことが起こったとき、この元ネタの若者には「他者理解のための感情と理屈」で触れたような、

頼れるはずだった人には見事に裏切られ、セイフティネットとやらにも簡単に門前払いを食わされるだろう。人の眼とことばは冷たく、あちこちで越えられぬ高い壁に阻まれるだろう。「こんなはずじゃなかった」と怒りや嘆きの感情にとらわれて、やがて無力感に襲われるだろう。どうしたらよいのかわからなくなってしまい、途方に暮れることだろう。やがて、あなたの心は死ぬだろう。

 という状態が訪れることは想像に難くない。そうして、それは必ずしも本人の責任ではない。彼がいかような人格を備えていようとも、たとえ清廉潔白な人柄であっても、このようなことは充分に起こり得る。他人が自分にどう接するかは、本質的には自分には決定権がないのだ。相手が相手の都合で裏切ることを決心してしまえば、それを止めるすべは、こちら側にはない。この若者があまりに楽観的なのは明白である。

 ところが、ここで述べられている、
「他者に対する想像力がなきゃ、いざというときに助けてくれる奴っていねえと思うけどな」
「赤の他人様がそう簡単に助けてくれるものか」
「そうはいっても、この世にはまだまだお人よしがいる」
 という意見は、普遍的に考えたとき、それが事実だとしても、いささか問題を含んでもいるのだ。それは、ここから読み取れる根本的な思想が、
「ふつうの人は他者を助けようと考えず、助ける人はお人好しである」
 というものだからである。この一連の話は、そうしたものの見方が多くの人々の根っこに流れていることを教えてくれる。もちろんここでは、「お人好し」とは悪い意味だ。

 世知辛い世の中であるから、ますますこのような考え方が人々の心に根を張るのだろうし、それは自己防衛の手段としては有用ではある。だが、
「助け合わないのがふつう」
 である世の中が、どれほど住みにくいものであるか、想像力を発揮してよく考えてみてもらいたい。

 お人好しであることが悪いとされるのは、損をするからである。出てゆくものが多く、実入りが少ないから損をする。損をするのはいけないよと、よくないことだよと、それは嫌だよと、みなの衆は思っているわけである。ここで展開されるのは「誰かの得は誰かの損」というゼロサム・ゲームだ。

 今の世間はたいした世間じゃない。ニュースを見てりゃウンザリするような話ばかりだ。偉かろうが卑しかろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、人はみな損得勘定で動く。国の一大事でさえ個人の損得で動くのだから、たいした世間じゃないのは当然だ。

 だから、金も要らぬ、地位も要らぬ、名誉も要らぬ、という人間は、世間においては非常に厄介なのである。だが、損得勘定で動かないからこそ、他者を助けることができる。そうでなければ、アカの他人など放って置くことだろう。

「赤の他人様がそう簡単に助けてくれるものか」という意見はまったくそのとおりなのだが、この考え方を肯定するよりも、むしろ「アカの他人さまが簡単に助けてくれる」世の中のほうが、ずいぶんと生きやすい社会だとは考えられないだろうか。他人など、本来は簡単に頼ってしまえれば、それがいちばんよかったのではなかろうか。かつて、人はそれを「人情」と呼んだものだ。それを許さぬ社会が生きやすいかどうか、それこそ想像力が必要である。

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