生きてゆくうえで大切なこと(その2)

スポンサーリンク

損得や好き嫌いで行動するな

自分が損をするか得をするかを行動の基準にしてはいけない。あるいは、好きか嫌いかを基準に行動するな。ときが経てば、状況が変われば、人がちがえば、損得や好き嫌いなどたやすく変化してしまう。そんなものを基準に行動するのは、あまりにも自分勝手である。自分勝手な人間になりたくなければ、損得や好き嫌いで行動してはならない。

やると決めたらとことん、徹底的にやれ

最近、ある人がなかなか立派なことをしようとしているのを眼にした。「自分自身より大切」「自分はこれに殉じたい」とまでいい切って、相当な入れ込みようだった。けれど、そこまでいいながら、すべてを投げ出す覚悟はない。「まぁこの程度でよいだろう」という腹がある。

覚悟も持たずに大風呂敷を広げてはいけない。やると決めたらとことん、徹底的にやれ。殉ずると決めたら、命さえ投げ出す覚悟がなければならない。「まぁこんなもんでよいだろう」などという限度はない。「この程度」や「こんなもん」を突き崩して、とことん徹底的にやれ。なにかを「やる」とは、そういことだ。

ものごとをふたつに分けるな

正義と悪、強いと弱い、勝ちと負け、正しいとまちがい、好きと嫌い、あちらとこちら、敵と味方、よいと悪い……。そのように、ものごとをふたつに分離して考えるな。表と裏、両面があってひとつなのだ。両者は互いを必要とし、そしてそれは結局ひとつのものなのである。

分離は対立を生み、対立は戦いに結びつく。分離せず、両者を統合しろ。境界をなくし、ひとつのものと考えろ。すべてをひとつに結びつけろ。すべてはひとつのものからできている。ひとつのものが、形を変えて現れているだけなのである。

敵は自分自身

人生で出会う人はすべてみな、必要があって出会う。好きも嫌いも味方も敵も、みな必要な出会いである。必要があって出会った人は、みな味方である。あなたは彼または彼女を必要としていたのだから。

敵はどこにいるか。自分の中である。外にはいない。敵とは自分自身のことだ。すべての戦いは己の中から起こる。では、自分自身を味方につけよう。そうすれば、もうどこにも敵はいなくなる。すべてはあなたの味方である。ほんとうは、敵などどこにも存在しないのだ。

生きることは傷つくこと

これは最近の新聞で読んだことだけれど、長く生きれば生きるほど、命はあちこちに故障を起こして、やがて死に至る。つまり、生きるとは、傷つきつづけることなのだ。生きて傷つくのはあたりまえなのである。傷つかないように、傷つくことを避けて生きようとするのはバカげている。傷つきながら生きろ。生きることは傷つくことなのだから。

関連記事

あるじなき摩天楼(地獄と天国)  5月23日の早朝に撮影。こぎたない雑居ビルが建ち並ぶ薄暗い路地の向こう、建設中の超高層タワーマンション「パークシティ武蔵小杉」。地上59階建、高さ200メートルを超えるというとんでもないバケモノ。  路地を抜けると川崎中南部の要所、東急東横線「武蔵小杉駅」があり、付近は東京電力や不二サッシの...
書く者と書かざる者 某月某日 ことばは虚しい。いくら叫んでも、いや叫べば叫ぶほどに、ことばはその力を失って空を切り雲散霧消してしまう。届くべきところへと届かない。届くべきところとは、すなわちあなたのその心だった。 ことばを使う者がその力を疑ったらお終いである。だからわたしはすでに終わっている。 かつて阪神大震災で被...
眠りを拒絶するベンチ(その4)  川崎の住宅地のど真ん中にある、ごくちいさな公園。1本の植木をぐるり囲む丸いベンチにも、眠りを拒絶するパイプが容赦なく張り巡らされている。もっとも、ここは三方が住宅に取り囲まれているうえに非常に狭いので、ホームレスが寝るにはあまりにも不適切な場所である。当然、ホームレスはこのような場所にはやって...
歩道橋でひと休み  5月22日の午後に撮影。歩道橋というか、街道にのぼる階段の途中で寝ている人。ホームレスかどうかはわからない。よく見ると、顔にタオルをかけている。ジョギングかなにかの途中だったのかも知れない。  撮影時にはたまたま誰もいなかったのだけれど、この階段をさまざまな人たちが通り過ぎていった。ほとんど...
スポンサーリンク