『貧困の光景』(曽野綾子/新潮社)

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貧困の光景 貧困の光景
曽野 綾子

新潮社 2007-01-17
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404 Blog Not Found:書評 – 貧困の光景」で紹介されている。未読なので深く言及できないが、帯に書かれているという、

日本は社会の格差の増大に苦しむという(略)、そういう人は、電気のない干ばつのアフリカ、砂漠の続く酷暑のアラビアで、まずほんの短時間にせよ、生きてみたらどうか。そして飢えに苦しむ人々に自分の食べるパンの半分を割いて与えるという人道の基本を体験したらどうか、ということだ。(「404 Blog Not Found:書評 – 貧困の光景」より)

なる文言の前半部分は、やはりいただけない。Amazonのカスタマーレビューで唐松さんという人が、曽野さんの貧困の定義を「貧困とは、その日、食べるものがない状態」と紹介しているけれど、だとすれば曽野さんは「日本の格差社会なんて貧困のうちに入らない。甘っちょろい」とでもいっているようで、なおのこと首をかしげざるを得ない。

たしかに、曽野さんは世界中の貧困の苦しみを肌を通して実感しつづけてきた人なのかも知れないが、「もっと下がある」という見方は、ただちに「おまえの状態はたいしたことはない。我慢しろ」という発想につながってゆく。「こっちより向こうのほうがたいへん」という比較は、人々の対立を生む要素さえはらんでいるだろう。

移動型と小屋持ちのホームレスでは、どちらがたいへんだろうか? ホームレスとネットカフェ難民とでは、どちらがたいへんだろうか? ホームレスとワーキングプアとでは、どちらがたいへんだろうか? あるいは一般市民は?

実際に、「一般市民はホームレスにならないために必要な犠牲を払っている。その犠牲を払わないからホームレスはホームレスなのだ」という議論は、実によく耳にする。どちらが、より苦労しているか、といった比較は、対立を生む構図になりやすい。

ありがちな構図が「★ネットカフェ・ホームレス – Heart’s Shot」に見られるので、ご紹介しておきたい。文面から管理人さんがホームレス関係のボランティアであろうことがわかるが、ここではネットカフェ難民と呼ばれる若者について、

情けないなぁ、若い兄ちゃん達がネットカフェでホームレス状態とは!

~中略~

こんな兄ちゃんたちに「あんたら、ホームレス入門の資格もないわ、どっか行って」と公園から押し出すのはワタシの役目。

~中略~

そんな若者がホームレス生活の厳しさに耐えられると思う?ダメダメ!

~中略~

で、地方の飯場で心身鍛えに行っている若者が2名。きつい仕事だけどお金を貯めて出直せそうとか、ホームレス手前の彼らからメールが来た。うれしい!そうそう、それでいいのよ。

~中略~

取りあえず、おばはんの説教聞いた兄ちゃんだけは面倒見ている。うちらから逃げ出した若者だけがネットカフェを転々としているのだろう。

と書いており、ネットカフェ難民をホームレスよりも格下と見て侮っている。基本的にこの管理人さんは、説教の押しつけによって他者を矯正することを目的としていて、「他者自身の望む幸せの実現」という「支援の基本」から外れており、手前勝手なボランティアではあっても果たして「支援者」と呼べるかどうかは疑問だが、貧困層に関わるボランティアの典型的なパターンではあろう。

余談ながら、個人的には、相手を自分の思いどおりにして自己満足にひたって喜んでいるこの種のボランティアには、人に手を貸す資格はないと思っている。がしかし、実際にはこの手合いが非常に多く、その事実にはまったく閉口せざるを得ない。

ぼく自身はネットカフェ難民ではないけれども、ネットカフェを使うホームレスというだけで、かつては(そしておそらく現在も)ホームレス関連のボランティア諸兄からさんざん悪口を叩かれ、あるいは無視されつづけてきた。ぼくの知る限り、ホームレス支援に関わるボランティアは全体のレベルが低く、やる気だけあって必要な知識とスキルを身につけていない人が圧倒的に多いのだが、こうして現状を正しく把握できていないボランティアは、自らの勉強不足によっていまだに支援対象を差別化しつづけており、これも比較という構図を用いることから起きている。

脱線ついでにいえば、ぼく自身の経験から一般市民とホームレスのどちらがたいへんかというと、そりゃ圧倒的にホームレスのほうがたいへんである。これは比較にならないほどたいへんである。ホームレスさえ体験しときゃ、あとはもう怖いものなしってぐらいにたいへんである。

一般市民の経験しかない人にはわかりようがないが、ぼくは両方の経験があり、あえてそれを比較するならば、それはやはり圧倒的にホームレスのほうがたいへんとしかいいようがない。そうでなければ、今ごろは楽しくて仕方がないはずだ。ホームレスからの脱出など考えもしないだろう。けれども、一般市民に対して、「あなた方よりぼくのほうがたいへんだ」とはいわない。それは筋がちがうのだ。

なんだか愚痴になってしまったので話を戻そう。「こっちよりもあっちのほうがたいへん」「もっとたいへんなのがいる」と見るのではなく、「こっちもあっちもたいへん」という考え方をしたほうが、対立を生みにくいはずなのである。「こっちもあっちもたいへん」ならば、「じゃぁお互いに助け合いましょうよ」という考え方ができるからだ。こうした相互扶助的な発想は、比較して対立の危険をもたらすよりもはるかに安全で建設的である。両者を融合してゆくような、こうした思考こそが求められているのではないか。

その立場ごとにいろいろなたいへんさがあり、たいへんな状況はやはりそれぞれにたいへんなのだ。そう考えたほうが道理にかなっているだろう。だけど、やっぱりホームレスはたいへんなんだよ~。あれ?(爆)

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