コミュニケーション能力が、ない

スポンサーリンク

なんだか最近はコミュニケーション能力が重要視されているんである。ふだんの日常的な人間関係をはじめとして、仕事でもコミュニケーション能力が非常に重要視されているんである。企業の採用担当者も、コミュニケーション能力をとても重要視しているんである。ビジネスコンサルタントなども、コミュニケーション能力をやたらと重要視しているんである。あなたの友だちも家族も、みんなコミュニケーション能力を重要視しているんである。

ぼくはコミュニケーション能力がとても低いんである。というか、ない。相手の話を聞きながら、うなずいているだけなんである。すばやくてきぱきと的確で明快な返答などしたことがないんである。打てば響く、という褒めことばがあるが、打たれてもびくともしないんである。それだから、相手は首を傾げてしまうんである。

どうも、それではいけないらしいんである。がしかし、寡黙な人間がこの歳になって立て板に水とばかりにしゃべれるようになるのは、もう無理だと思うんである。もうこのままやってゆくしかないんだと思うんである。それで嫌われたって、もう仕方ないと思うんである。それがダメだといわれても、しょうがないと思うんである。

黙ってフンフンと話を聞いていては、なぜいけないのだろうかと思うんである。でも、おもしろい話とか気の利いた話とか感心する話とか、そういうのができないとダメな人間だということになってしまっているんである。いっしょにいておもしろい人とか、そういう人間でないとダメだということになってしまっているんである。

ぼくはいっしょにいてもおもしろくないんである。つまらないんである。だから人間としてダメらしいんである。現代はコミュニケーション能力が高くないと、人間としては認められない時代なんである。コミュニケーション能力が低いと、それだけで人間扱いされないんである。もう、ぼくは貝になりたいと思うんである。

関連記事

眠りを拒絶するベンチ(その2)  川崎市幸区下平間(JR鹿島田駅付近)の公園にある「眠りを拒絶するベンチ」。平均的なタイプで、他の造りとデザインが一体化している。当初からこのようにデザインされているのであろう。肘掛けを装って自己正当化しているのがなんともイヤラシイ。発想が醜い。イコール作った人間の心が醜い。 ...
永遠の凍土に埋まれ 停滞しはじめた自分の精神に嫌気がさす。急斜面から滑落し、セルフビレイ一本でかろうじて宙にぶら下がっている。もがいてもあがいてもなんの取っ掛かりもなく、吹きつける寒風の中をただ漂っている。ぶら~り、ぶらんぶらん。 切ってしまえ、とさえ思う。なんだってこの岩山を登ろうというのか。もはや理由さえ定かではな...
なまってます ふだん、ネットカフェにこられない夜間は寝ずに起きているのだけれど、ここのところ外で過ごす日が多いので、やむなくむかしのように寝ることにした。もちろん公園のベンチだ。日中は汗ばむ陽気なのに、これが夜半になるとやけに冷え込む。もってせいぜい3時間ぐらいが関の山である。 とはいえ、隣のベンチでいびきを...
眠る健次郎  5月23日の深夜、公園の古ぼけたベンチで寝る自分を撮影。暗くてよくわからないが、手前が頭で向こうが足である。身体を右の背もたれのほうに横向けている。ひざが曲がっているのはベンチの長さが足りないためだ。  この日も寒くて2時間ぐらい眠るのが限度だった。白く浮き出た手が、自分のものとはいえ、...
スポンサーリンク