母の日に

スポンサーリンク

そうか、きのうは母の日だったんだね。すっかり忘れていた。娘として息子として、あるいは母として、過ごした人も多かったのだろう。

ぼくに母はいない。まだ存命だと思うけれど、もう何年も会っていないので実際にはわからない。いずれにせよ、彼女が死ぬまで会うことはないだろうと思うので、もう死んだことにしている。まぁどちらが先に死ぬか、競争みたいなところもあるのだが。

ぼくを路上へ突き落とそうと、兄と一緒に躍起になっていた人なので、これも仕方がない。彼女も息子は兄しかいないと思っているらしいからおあいこだ。ぼくは息子としてふつうには母を愛してはいるが、同時に激しく憎んでもいる。

母親を悪くいう男にロクな人間はいない。まぁぼくはそういう人間のひとりだ。

関連記事

生きてゆくうえで大切なこと(その2)... 損得や好き嫌いで行動するな 自分が損をするか得をするかを行動の基準にしてはいけない。あるいは、好きか嫌いかを基準に行動するな。ときが経てば、状況が変われば、人がちがえば、損得や好き嫌いなどたやすく変化してしまう。そんなものを基準に行動するのは、あまりにも自分勝手である。自分勝手な人間になりたくなけれ...
止まらない涙 Side A ことの起こりはこんなことだ。かなり以前になるが、あるボランティアの運営するブログにその人の友人であるボランティアの男性がコメントし、ぼくがその男性にあいさつをしたところ無視されたという、たったそれだけのことなのである。けれど、ぼくはそのことでずいぶんと悩み、なぜ無視されたのか、なぜ相手...
致命的なまでにすれちがう世界、あるいは淡白さ... Side A ルイス・ブニュエルの「自由の幻想」という映画だったように思う。ひとつのエピソードの登場人物が次のエピソードの主人公になってゆくオムニバス形式で、たがいのエピソードには関連性がないという変わったシロモノだが、中でも奇妙なのがこの話である。 ある少女が行方不明になった、あるいは誘拐されたと...
ほんとうのホームレス問題(ホームレス問題ヲ語ルトイフコト)... 小説の書き方には2種類ある。「わたし」が主人公の1人称小説と「誰か」が主人公の3人称小説だ。1人称のほうが書きやすく思えるので、たいていの人は「わたし」を主人公に書きはじめる。が、実際には1人称のほうがむずかしい。したがって、初心者の書いた1人称小説は読むに耐えぬものとなる。 理由はさまざまだが...
スポンサーリンク