なにも届かないことばたち

スポンサーリンク

「見えにくくなってゆくホームレス」のコメント欄でオセロットさんからいただいた、

 このところの健次郎さんのトピックに触れながら想うのは、“個人と普遍”、“ガッカリするかもしれない読み手の在り方”と表現されたこと=一連のトピックで“哀しさ”や“喪失”を健次郎さんのスタイルで叩きつけるように刻まれたことの“届かなさ”です。

 という一文が、妙に頭にしこって離れずにいる。このブログには400以上のトピックがあるのだけれど、そう、ぼく自身、これだけのことばをつづっておきながら、相手のこころになにひとつ届いてはいないのだということを、毎日のように感じているからだ。

 これは「そう感じる」という感性の問題であって、理屈ではない。強いていえば「流れにハマッていない」とか「ズレている」などとしか表現し得ない、決してことばではいい表せないたぐいのものだ。

 伝えたいことが伝わっていない、相手に思いが届いていないという感じは、わかりやすくいえばあるいは片想いのような感情かも知れない。多くの人はそうした経験があるはずで、感覚的にはむしろ理解しやすいだろうか。こちらの気持ちが相手のこころにまったく届かないという、あのどうしようもなくやるせない切なさのようなものである。

 ことばで気持ちが届くというのは確かに幻想ではあるが、相手の気持ちを「共振」させることはできる。片想いを知らない人にもその感情を追体験させることはできるはずなのだけれど、ぼくのことばが稚拙なのか、相手が共振している感覚がつかめない。「ズレている」どころか「まったく接していない」感じがある。完全に分離しているのだ。

 ぼくはもしかすると読み手のみなさんに、片想いをしているのかも知れない。決して届くことのない、永遠の片想い。

関連記事

歩く健次郎  5月22日撮影。歩きながら自分の足元をノーファインダー(ディスプレイを見ずに勘で撮る方法)で撮ったうちの1枚。この日はむやみに5万歩ぐらい歩いている。  左上の花はツツジかなにかだろうか。この季節、道端でほんとうによく見かける花なのだけれど、その名さえ知らず、すべて通り過ぎてゆく。...
眠りを拒絶するベンチ(その5)  Canonの本社がある東京大田区の下丸子。大田区ではよく見かけるタイプのベンチが、この街にもある。もともと古い木製のもので、お色直しのついでにホームレス対策のお邪魔ん棒を取っ付けたようである。武骨なつくりで、とにかくなにがなんでも寝かせないゾという強烈な、ただそれだけのシロモノ。...
からっぽの段ボール箱 Home Bound浜田省吾 SE 1999-09-29Amazonで詳しく見る by G-Tools 悲しみ果てしなく 風は夜ごと冷たく 人は去り人はくる でも気づけば 道しるべもない道にひとり (家路/浜田省吾) 東京は一時の陽気がすっかり影を潜め、連日、震えあがるような冷たい雨模様が...
だいじょうぶ 前なんか向かない うしろだって振り返らない 上なんか見上げない 下だって見下ろさない 静かに眼を閉じて闇の道 ただ歩いてゆけばいい 肩の荷なんか降ろさなくたって 背中の鎖 断ち切らなくたって つながれた過去すべて ちからいっぱい引きずって こころのかけら詰まったバッグ抱え ただ歩...
スポンサーリンク