悪党という役まわり

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袖すり合うも他生(多生)の縁、などといって、どれほどちいさなことであれ、自分の人生に少しでも関わる人は、なにがしかの理由があって関わっているのだ、と考えることもできる。偶然なのか必然なのか。必然と考えるのは運命論だけれど、偶然に起こったことに自ら意味を与えれば、それは必然となる。偶然という名の必然だ。

誰かの人生に関わったとき、自分の果たした、いや与えられていた役割はなんだったのだろうかと、ふと思う。相手の人生と自分のそれが交差した、ほんとうの目的はなんだったのか。なぜぼくは彼らの人生に招かれたのか。彼や彼女の人生に顔を出すことを、いったい誰がなぜお膳立てしたのか。彼らとぼくが出会ったことで、世界にどんな変化がもたらされたのか。なんの目的を達成するために、人はそのつど人と関わるのだろうか。ほんとうの目的と与えられていた役割。その理由と意味。

多くの場合、ぼくは他人の人生に悪役として登場する。はじめは優しげで善人づらをして主人公の前に現れるのだけれど、やがてその本性をむき出しにするや徹底的に主人公を苦しめ痛めつけ、しかし当初は弱く頼りなかった主人公がついにぐわっと力を増して、あるいは無敵の助っ人を得てこの極悪人を退治し、主人公がひとまわり強く大きくたくましく成長して一件落着という、そういう役まわりだ。

映画なら悲惨な死を遂げ、あるいは未来永劫に刑務所へ閉じ込められて人生から退場し、ジ・エンドで終われもするが、現実はそうはゆかない。悪役にも悪役の人生がまだ残っており、それは誰もが喝采する善良な登場人物たちが放った光の輪郭に沿って、ぐるり黒い影となってつづいてゆく。エンドロールが流れたあとの純白に輝くスクリーンの中で、けれど退場したはずの悪役の人生も一点の黒い染みとなり、また流れつづけるのだ。

世界に変化が訪れるとき、たいていそこにはロクでもない極悪人が登場する。ぼくもまた、彼や彼女の生きる世界に変化を引き起こすために招待された悪であり、彼らの人生に必要とされた悪党なのかも知れない。今、これを読んでくれているあなたの人生に、さて、ぼくはどんな役まわりで登場しているのだろうか。願わくば悪党として参上し、あなたの世界を、人生を引っくり返してみたい。

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