「東京ホームレス」ウォッチ

スポンサーリンク

久方ぶりに「☆ブログ版☆ 「東京ホームレス」 村上知奈美」をのぞいてみる。メインコンテンツの交換日記は、以前はホームレスの山本さんの日記と読者のコメントだけだったが、今年に入ってから村上さん側からの日記も付き、ようやく交換日記らしくなった。代わりに読者のコメントが消えたけれど、これはmixiに移行したものか? コメントが爆発しやすいブログにとっては、それもひとつの選択ではある。だが、mixiは基本的に閉鎖系なので、その陥穽に落ちなければよいのだが。

さて、古い記事で恐縮だけれど、「2/16(金) 素晴らしき1日」では、上野公園の炊き出しで「歯みがきプロジェクト」を実施した際のエピソードが、村上さんによって語られる。

会場で「俺の話をきいてくれ」って話しかけてくれたおじさんが言ってた
“「歯ブラシ、ありがとう」って言える奴は、まだ人間の心をもってる奴だよ。本当に心から思ってる思ってないは別として…。でも、いらねえよ、とか言う奴は、心が素直になれない、食べ物としか比較できない奴だ。”
という話が 印象的でした。その話全てに納得ではないけれど、ちょっと なるほどな、って思いました。

「歯みがきプロジェクト」とは、歯ブラシをプレゼントすることで応援の気持ちを伝えることが目的とぼくは理解しているが、ここでは気持ちよりも実質を求めるホームレスもいることが明らかにされている。

その是非はおくとしても、このプロジェクトは基本的に「贈る側の都合」でおこなわれていることだけは心に留めておくべきだろう。ホームレスの求めに応じて、というわけではなく、あくまでも「贈る側の気持ちを伝える」ことが目的だから、援助もホームレスには緊急性のない歯ブラシという「イメージ」を用いている。

仏教だったかキリスト教だったか、ビンボー人には説教の前にまず腹いっぱい食わせてやれ、という教えがあったことを思い出す。ほんとうに心から「ありがとう」と思っていないにもかかわらず、建前として儀礼的に歯ブラシをもらってゆく人よりも、事前に炊き出しがあったとはいえ、歯ブラシを「いらねぇよ」といって食べ物を求める人のほうが、むしろ心が素直なのではなかろうか。自分のニーズをちゃんと把握していて、またそれだけ追い詰められているということだ。

「人はパンのみで生きるのではない」とはキリストのことばだけれど、彼は「パンなんかいらない」といったわけじゃない。むろんその必要性を承知していればこそ、パンや魚を裂いて人々に分け与えた。日本流にいえば「腹が減っては戦はできぬ」といったところか。「気持ち」より「実質」を求めても、それは決して非難されることじゃない。

「歯みがきプロジェクト」に問題があるとすれば、

  • 「支援者の気持ち」が中心で、ホームレス個々人のニーズの反映ではない
  • 歯ブラシをもらったあとでホームレスはどうすればよいのかという「その後の道筋」が用意されていない

という二点に尽きるだろう。特に二点目については多くの支援が抱えている問題でもあり、「その場限り」の支援からいかに脱却してゆくか、あとにつづく次のプロジェクトを期待しながら見守りたい。

***

上野公園の「歯みがきプロジェクト」については、ホームレスの山本さんの日記「2/16(金) 上野公園で「歯みがきプロジェクト」の活動をする」にも、こんなことが書かれている。

3人ぐらい 歯ぶらしを受け取るのを 拒否しましたが、ほとんどの人は“ありがとう”と礼を言って 受け取ってくれました。そして 今日の活動は、気分が良かったし 成功だったと思ってました。

山本さんは気分よく活動を終えたというのだけれど、ほんとうはその3人にこそ眼を向けるべきであった。ぼくだったらほかの500人は忘れても、この3人は絶対に忘れない。ほかの連中など放っておいても、この3人に対してなにができるのかを考える。

弱者は常に少数であり、それゆえに多数の中にうずもれてゆく。ホームレスという少数派がこの3人をスポイルしてしまっては、それこそ本末転倒であろう。山本さんの視線はホームレスという弱者のそれではなく、すでに一般市民という強者の持つ視線に堕ちている。それがなんとしても哀しい。問題を解く鍵は、うずもれた少数派が常に握っているというのに。

***

最後は「12/15(金) 理由の分からないうしろめたさ」のこんな記述。去年のクリスマスを間近に控えたころ、街のホームレスとひょいっと眼が合ったときの、村上さんの心情である。

クリスマスの街の雰囲気に浮かれている自分を 少しうしろめたく感じたのは なぜだろう?
おいしいもの食べたり、旅行したり、お買い物して好きな物を買ったり…
決してイケないことしてる訳じゃない!
自分のお金で日常を楽しんではいけない訳がない…。
でも、なぜだろう、自分だけこんなに幸せな生活をしていていいのだろうか?
と時々思うのです。この気持ちは何なのだろう。

健全だな、と思う。この感じ方は、社会の中で生きる人間として健全だと思う。どこで聞いたか思い出せないのだけれど、「自分の家族が幸せでも、隣の家に住む人が不幸だったらあなたは幸せか?」というような話があった。社会の中で生きる限り、幸せとは人と分かち合うものであるようだ。

もっとも、近ごろはこの原則が通じない人も増えてはいる。自分ひとりだけガンガン儲けてそれでおしまい、自己完結してしまう人たち。なんと呼ぶんだっけ? そう、「勝ち組」とかっていうんだったよね(苦笑)。いや、人間的には「負け組」なんじゃないかと、ぼくなんかはそう思うのだけどねぇ……

関連記事

ホームレスと非ホームレスの距離 わたしがネットで犯した最大のまちがいは、おそらくボランティアを敵にまわしたことだろう。ご存知のように、わたしはボランティアのみなさんにはかなり厳しい注文をつけてきた。それはホームレスに対する認識、とりわけその精神性に関する認識におおきな隔たりがあったためだ。 ホームレスは特別な人種ではない。いみ...
野宿者自立支援のNPO法人が1億3千万円所得隠し... 嫌なニュースだねぇ。「野宿者自立支援のNPO法人が1億3千万円所得隠し」(5月15日付・朝日新聞)。  野宿生活者らの自立を支援するNPO法人「大東ネットワーク事業團」(大阪市西区)が大阪国税局の税務調査を受け、宿泊施設の利用料などを申告していなかったとして、05年12月期までの3年間で計約1...
ホームレス構造改革 次の文章をよくお読みいただきたい。 しかし、ホームレスについては昔から自己決定ではないですか? なぜならわが国は自己申告の社会ですから。 道端で衰弱しようが瀕死をむかえようが、役所に自ら助けを求めなければ行政は助けませんし相手にしませんね。 なぜならホームレスになった理由のほとんどは、自分の選択肢...
ホームレス支援施設よりもまず職員?... 木村燈路さんという方は大学で福祉関係の勉強をされてらっしゃるようで、そのブログ「ひつじ」中の記事『ボランティア、そのあとボランティア。』では、ホームレスへのボランティア体験を語っているが、なかでも、 ソーシャルワークの専門性は、例えば「障害者」の「障害」に関わるのであって、「者」に関わるのは、ボラ...
スポンサーリンク