武州無宿・健次郎はなぜブログを書くのか?

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わたし、武州無宿・健次郎はなぜブログを書くのだろうか?
「ホームレス問題を訴える」
「ホームレスへの理解を求める」
というのはあとから取って付けたもっともらしい理由に過ぎない。正直、わたしはホームレス問題などどうでもよい。わたしが書くのは、魂のうちから否応なく吹き上がってくる衝動があるからだ。だから書かざるを得ない。そうでなければどうして食うや食わずでこのようなバカなことをするだろうか?

それは「自己承認欲求」と呼ばれる、人間が持つ基本的な欲求だ。
「自分の存在を認めて欲しい」
「自分を無視しないで欲しい」
「自分にOKを出して欲しい」
という欲求はきわめて基本的なもので、仮に子供のころにこの欲求が満たされないと自己評価が低位に固定してしまい、健康には育たない。大人も同様で、ひたすら未承認の状態がつづけば自己評価はぐんぐん下がってしまい、最後には病気になる。わたしはこの欲求を、
ハンコくださいッ!
と呼んでいる(わかりやすいでしょ?)。

このような状態にハンコを押す、あるいはこうした状態を引き起こさないためには、カウンセリングの一派である交流分析で「肯定的ストローク」、コーチングでは「アクノリッジメント(承認)」と呼ばれる、他者からの承認が必要になる。それはまた可能な限り身近な人間の必要があり、だからこそ子育てでは養育者の重要性が説かれる。人間が健康に生きてゆくためには、必ずこれらの照り返しが必要になる。人間である以上、例外はない。

余談ながら、わたしはこうした承認をあまり受けずに育った。とりわけいちばん大切と思う身近な人間たち、すなわち肉親のことだが、わたしは彼らからついにハンコをもらうことができなかった。目立って不幸な少年時代をおくったわけではない。しかし、わたしの人生は、ひたすら彼らからOKをもらうために費やされた。その結果、路上で死ぬことを求められ、現在に至っている。

ふと思うのだが、ときに、
「もっと自分を大切にしなさい」
「自分を愛しなさい」
という人を見かけるのだけれど、わたしにはこの意味がわからない。自分を大切にするって、いったいどういうことなんだろう? それはどんな感じがするものなのだろう? それはどうすれば実現できるのだろう? まったくわからない。自分を愛するだって? それはいったいどんな感じなんだい? どうすればそれを感じられるんだい?

……話を戻そう。たとえば、あなたが子供のとき虐待を受け、あるいはネグレクトされ、または褒められたことさえなく、大人になったら会社では怒鳴られっぱなし、挙句の果てにクビになり、妻からは役立たずの粗大ゴミ扱いされ、夫からは奴隷のように扱われ、子供からはバカにされて口もきいてもらえず、近所では悪口をたたかれる。このようにまったく未承認の状態がつづけば、あなたはまちがいなく気力を失い、最後には病気になる。

そして、すべてのホームレスは常にその境界線上にいるのである。

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