人生からの復讐

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なんつーか、俺は自分の人生から復讐されている気がするんだよね。まいた種を刈り取らされているというか、犯した罪を償わされているというか、まぁ因果応報ってヤツだ。自分の人生から「ザマァ見ろ」っていわれている気がする。えらそうなことばかりいって、なにもできねぇじゃねぇかと。やれるもんならやってみろと。

そうね、なにもできないねぇ、なにもやれないねぇ。でも、まぁそれでいいんじゃないのかねぇ? あれこれいって、でもなにもできないのも悪くはないよな。まぁさぁ、俺なんかただの口先男なんだからさぁ、自分じゃなにもできないのよ。でも、ほかの誰かはできるかも知れないしさぁ、ちょっと背伸びしてさぁ、エラそうなこと、いってみたいじゃんか。それでまぁいってみるわけで、それでよかないかねぇ。

人の気持ちがわかんねぇっていってもさぁ、西洋じゃ「他人の気持ちは悪魔にさえわからない」ってことわざがあるぐらいで、わかるわきゃないじゃんか。でも、自分にできる範囲でできるだけわかろうとしてんだから、それはそれでいいんじゃないかねぇ。

裏オモテがある、二面性があるっていってもさぁ、あってもべつによかないかねぇ。そりゃ、ないに越したことはないだろうけどさぁ、あってもふつうじゃないのかねぇ。なくそうと努力はしてんだから、それはそれでいいんじゃないかねぇ。

自分は人から大切にされる資格がないっていってもさぁ、なんか、資格とかどうでもいいような気もするねぇ。自分は幸せになる資格がないっていってもさぁ、そんな資格、どうでもいい気がするねぇ。自分は人を幸せにできないっていってもさぁ、そんなことどうでもいい気がするねぇ。

俺さぁ、10代のころに仲間と会社作ってさぁ、日本初のコンピュータ・アドベンチャーゲームを作りはじめたんだよね。ほいだらアスキー出版社(現アスキー)の「表参道アドベンチャー」に先を越されちゃってさぁ、今度はアスキーにアルバイトで入って、MSXっていう家庭用パソコンのプロジェクトチームにいたんだわ。MSXっつーのは、パソコンを家庭に普及させようとしてアスキーが提唱した共通規格でさぁ、パソコンと関係のない業界のヤマハなんかまで乗ってきたデカいプロジェクトだったのよ。

そいで俺は、そのチームでゲームマニュアルを書いてたの。いや、マニュアルっていってもただのペラペラな説明書なんだけどさ、外国製のゲームなんか説明書が粗末でねぇ、そいつを翻訳したり、日本のソフトハウスが持ち込んでくるゲームマニュアルの校正なんかしてた。

そいでさぁ、今のゲームって、ちゃあんと背景世界が構築されてんじゃん? ゲームの背景になるストーリーが、説明書の冒頭に書いてあるのがあたりまえじゃんか? でも、当時はそんなもんは、まずほとんどなかったの。わけのわかんねぇゲームを、わけもわかんねぇままで遊ぶのがふつうだったの。

そいで俺はさぁ、どっかの誰かが作ったゲームに、勝手にストーリーを付けちゃったわけ。「ストーリーを付けたい」っていったら「勝手にすれば?」みたいにいわれて、初期に発売された外国製のゲームのストーリーは、全部俺が書いたはず。あとになって、マニュアルに俺の名前を入れるから字を教えろっていわれたっけ。「協力:○○」とかいうヤツなんだけど、今みたいに制作者の名前なんか載せないから、人の名前は俺しか載ってないの。当時は鼻が高かったね。

社長の西和彦さんは子供みたいな「驚き」を持っている人だったしさぁ、最近アメリカのマイクロソフト副社長を引退した古川亨さんなんかは若手のホープでさぁ、ここの写真じゃ髪は真っ白だけど当事は黒々としててさぁ(笑)、隣の部屋にいたんで、たまに話なんかしたよね。どうでもいいけど、この人は奉仕活動とかしないのかね?

俺はソフトバンクの孫さんてあんまり評価してないし嫌いだし(笑)、ライブドアの元社長だったホリエモンだって堀江くんって呼んじゃうのは、そりゃやっぱりこの業界、ヤツぁ金は持ってるだろうが俺のほうが先輩だしさ。で、俺はホームレスなわけだけど(笑)。

そいで、こうやって書くと、なんか過去の自慢話みたいに聞こえるじゃん? 俺もむかしは……みたいにさ。でも、実際には、俺なんかぜんぜん大したことをしてこなかったの。なんか、業界の隅っこでタラタラ仕事してただけなの。だから、正社員になれずにアルバイトで終わったの。営業部長から「あンタは才能がない」っていわれてさぁ、出社拒否症になっちゃって、ほいで人生の転落がはじまったのよね。

今はねぇ、過去なんか、もうどうでもいい気がするんだよねぇ。むかしはどうだったとか、がんばったとか、大したもんだったとか、こんなことをしてきたんだぞとか、俺だってどんなもんよとか、そんなこと、もうどうでもいい気がするんだわ。そうやって背伸びしていた過去にしがみついていても仕方がねぇって気がするわ。自分をデカく見せていても疲れるだけだわ。俺もむかしはどうだったとかいう仮面の自負心なんか、丸めてどっかへ捨てちゃいたいんだわ。

自分に価値があるとかないとか、自己評価が高いとか低いとか、そういうのもめんどくせぇなぁって思っちゃう。価値なんかあってもなくても、自分に対する自身の評価なんかも、そんなのどうでもいい気がするんだよねぇ。

じゃぁこれからなにをするかが重要だ、って話になりがちだけど、それもどんなもんかねぇ。未来なんか、すぐ過去になっちまう。むかし取ったきねづかなんて、むかしに戻っておなじことの繰り返しじゃ進歩がねぇし、やっぱ新しいことをはじめなきゃ意味がねぇじゃんか。

自分史っていうか生活史っていうか、そういうちっぽけな自分だけの体験からくる価値観なんかも、今はジャマくさいって感じなんだわ。自分にとってだけ正しくてほんとうに正しいかもわからんのに、それに縛られて自由に動けないじゃんか。うっとうしいよねぇ。

でもまぁ俺はなにもできねぇから、こうやってブツブツいってるだけなんだけどサ。まぁそれでもいいべよ。

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