未成熟なココロ

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トップページに、改めてホームレスの分類についての解説を載せた。以前に公開していたものを引きずり出してきて、少し書き直した。「明るく元気で前向きにガンバッているホームレス」ばかりがホームレスじゃないんだよ、ということを訴えたい気持ちが強かった。けれど、なんだってこんなことをするのだろう。いまさらどうでもよいじゃないか、とも思う。

支援の主たる対象となっているステレオタイプのホームレスを持ち上げて、そこに自分のタイプを寄り添わせてみる。まるでコバンザメのようにまとわりつかせながら、なんとか自己正当化を試みる。そう、自己正当化だ。いや、そう見えないのはカクカクシカジカなんで、ぼくらだってガンバッているんですよ、というわけなのだ。

それがたまらなく嫌である。

今まで誰にも指摘されたことはないけれど、ぼくは当初からこのブログを「子供っぽい」と感じてきた。武州無宿・健次郎はどこか精神的に幼く、未成熟である。いい歳をした四十男が口にすることではないものを、彼は臆面もなくさらしてしまう。子供っぽいよなァ、と思うのだ。

そう見える大きな理由が、常に付いてまわっている「自分を理解して欲しい」という感情だ。今度のホームレス分類表にしても、結局はこの「自分をわかって欲しい」思いが発端になっている。ほんとうは自分のタイプだけ解説しておけばよいのだが、それでは役に立たないだろうから、ついでにほかのタイプを付け足したようなものなのだ。

大の大人が「自分をわかってくれ」というのは、まったくなんともみっともなく恥ずかしい。ぼくはその恥ずかしいことを平気でやってしまうのである。平気であなたという、見ず知らずの他人に寄りかかってしまう。それが子供っぽくなくて、いったいなんだろう。

いや、ほんとうは平気ではまったくない。自分の未成熟で幼稚な精神を知りながら、そうしてそれが露見することに恐れおののき、努めてそう見えないように気遣いながら、しかし根底にその事実が流れていることを見て取るたびに、その恥ずかしさに押しつぶされそうになって激しく動揺してしまう。自分はなんてみっともない男なんだ、と思う。

ぼくが持つ「甘さ」は、おそらくこの未熟さに由来するのだろう。もっとしっかりしなけりゃいかんとか、もっとガンバらなきゃいかんとか、もっと努力しなきゃいかんとか、そこに今ひとつの厳しさが足りない。住む場所もなく寝るところもなく休むことさえままならず、居場所を求めてあてどなく街をさまよい、ときに眼をつむったままで片側二車線の街道を横切り、ときに橋の欄干によじ登ろうとしながら、それでいてなおどこか楽観的でさえある。いまだになにかを信じているのだ。それがなにかはわからないが。

そうしたどこか楽観的で未熟な甘さが、このブログのそこかしこからにじみ出ている気がする。多くの人たちが、それを見抜いているだろう。そう思うと恥ずかしさのあまり、すべてをブン投げて後はなりゆきに任せ、自分はどこかへ逃げてリセットしたいような気持ちになってしまう。リセットなんてできやしないのだが。

ぼくは恥ずかしいのだ。そして怖い。大の大人であるはずなのに、年甲斐もなくこの未成熟な心をさらすことが、たまらなく怖い。

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