撮るッ!

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 まだまだ残暑厳しく、暑さしのぎに家電量販店へと足を運ぶことが多い。近ごろはカメラ売り場がお気に入りで、久しく手に取っていなかったアレコレをいじり倒しながら、不意にサッとレンズを振るなりガガガッとシャッターをやっつけて、まぁニヤニヤと悦に入ったりしている。

 今はもう1眼レフもコンパクトカメラもデジカメだから、操作が煩雑で、それだけにいじり甲斐がある。撮ったカットがその場で見られるのもよい。あぁやっぱり俺のウデは超一流だぜ参ったかてやんでぇベラボーめさぁかかってこいエルスケン(※)、と鼻の穴を最大限に膨らませながらあちこち操作していると、そのうち元に戻らなくなってしまい、そういうときにはさりげなく隣のカメラを手にしてまたいじる。いや、ごめんなさい、である。

 カメラは道具だから扱いやすいことが肝要だ。それはカタログではわからない。ぼくはカメラを手にするとまず構え、あればファインダーを覗き、指先で操作し、それから片手でグルグル振りまわしてみたりもする。直感的に操作できるか、バランスはよいか、指が収まるところへ収まるか、サッと手にしてスッと構えパパパンッとシャッターが切れるか、といったことを重要視する。

 性能がよくても扱いにくいカメラはコレクション向けである。一期一会の瞬間にとっさに使えないものは、ショーウィンドウに入れて眺めるための機種だ。飾っておくためのカメラもよいが、ぼくはそれが実用的な機種かどうか知るために、かなり乱暴に扱うのである。いや、ほんとうにごめんなさい。

 ぼくが大昔に愛用したのはCanon New F-1という頑強なシロモノで、レンズはちがうけれど当時のぼくの仕様に近い写真が「The New Canon F-1 – Concept Part II」に載っているが、露出もマニュアルならピントもマニュアル、モータードライブなんていうドデカイ連続撮影装置もついていて、レンズをつけると2キロぐらいの重さがあった。ぼくはこいつをいつでもどこでもどんなときでも肌身離さず持ち歩いていて、そこいらにレンズを向けては闇雲にバリバリバリッとシャッターを切りつづけたものだ。

 東京は築地を本拠とする日刊スポーツ新聞社が、写真部のアルバイトを募集していると聞き、こいつをぶら下げて押し入った。当時、著名な写真部長かデスクがお相手してくださって、履歴の話もそこそこ、いきなりモノクロフィルム1本、36枚撮りを渡され、今ここで撮れ、という。

 撮れ、といっても昼ひなか、ほかに部員がひとり残るだけのだだっ広い写真部室である。机と椅子とゴミのように積み上がった書類の山以外、なにもない。ヤケになってそこいらのものを手当たり次第に撮りまくっていたが、一度どこかに消えていた部長だかデスクが戻ってくるなり、まだ撮ってるのか、ときた。

 ヒーヒーいいながら36カット、それでもなんとか撮り切ると、ただちに裏の暗室へ連れ込まれて現像と焼き付けをやらされた。馬鹿な話だが、ぼくはあまり暗室作業が好きじゃなかった。当然に、満足なプリントなどできあがるはずもない。ご指導いただきながらやっとの思いで終わらせたけれど、そのころにはもう採用の見込みがないことに気づきはじめていた。

 それでも部長だかデスクだかは辛抱強くぼくのプリントを見てくださって、中の1枚、首をかしげしばらく眺めまわしたあと、
「これ、君が撮ったの?」
 といってくださった。ちょうど撮りはじめの最初の1カットで、壁掛け時計とその他の張り紙をぶっきらぼうに切り撮っただけの写真だったが、偉い人の眼に留まったかと思うと、それだけで飛び上がるほどにうれしくなったものだった。

 残念ながらその場で不採用をいい渡されて社を後にしたけれど、考えてみれば写真学校も出ておらず経験もない若いアマチュアカメラマンに、新聞に載せるような写真を撮らせるわけもなく、これはどう考えても採用されるはずがなかった。押しかけるこちらも無謀だが、忙しいのに門前払いせず、そんな奴の相手をしてくださった方も無謀だった(笑)。そんな時代であった。

 カメラ屋でいろいろ触るのはよいが欲しくなるのが困りもので、しかしまぁすぐにバカバカしくなって欲は消えてしまうのだけれど、多少なりとも欲が出てくるのは、今のぼくにとってはよいことかも知れないと思う。もちろん、店を出るときにはカタログをもらい、それを眺めながらあれやこれやと楽しんでいる。

(※)エド・ヴァン・デル・エルスケン
 オランダ人。『セーヌ左岸の恋』(サン・ジェルマン・デ・プレの恋)で知られる著名な世界的写真家で、20世紀最後の巨匠。(好みの)女性に優しくそれ以外は人間とも思わぬ2面性を持つ嫌なスケベ爺さん。1990年死去。

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