路上の償い

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ぼくはよく自分を悪党と呼ぶが、これは悪党だからそう呼ぶのであって、善人のぼくがホームレスになったわけでは決してない。だからこの話を書くことにしたのだが、ぼくはたとえば家の金を使い込んだことがある。金庫を開けて家人の金から幾枚かの札を抜き取ったときには、みずからショックで目まいを起こし、その金を前にしてしばし途方に暮れていた。

当時、すでにぼくは仕事ができなくなっていた。自分の存在が他人に迷惑をかけている。それによって出社拒否症とクビを繰り返していた。ほとんど収入がなかったが、家人はそのことを知らなかった。

相談すればいつも以上の扱いになるだろうことはわかっていた。家族はこれまで、ぼくがいかに能なしで使いものにならない人間であるかを教えようとしていたが、よりいっそう丁寧に詳しく教えようとするだろう。ぼくは恐れた。相談は論外であった。ぼくは曲がりなりにも収入がある振りを装わねばならなかった。

ことが数日のうちに知れることはわかっていた。今でいういわゆる「サイン」。危険信号、シグナルといったものだったのだろう。しかし、なぜだかぼくは厳しく問い詰められなかった。どうしたわけか大ごとにならず、深く原因を追究されることもなかった。

だが、決して家人が許していたわけではかった。彼らは原因はまったく追究しなかったが、結果だけは激しく求めつづけていた。「仕事」という結果である。けれど、ぼくは結果を出せなかった。そして、やがて彼らが出した結論が「死をもって償え」ということだった。

今、ぼくが路上にいるのは、こうした罪の償いのためである。ことばだけの謝罪は済んでいたが、ぼくは彼らの指示に従った。何度か橋の上に立ち、何度か眼を閉じたまま街道を横切ってみたりした。けれど、そのたび、どこかで納得していない自分、腑に落ちず首をかしげている自分に出会ってしまうのだった。

償い、とは、いったいなんだろうか。

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