ホームレスと非ホームレスの距離

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わたしがネットで犯した最大のまちがいは、おそらくボランティアを敵にまわしたことだろう。ご存知のように、わたしはボランティアのみなさんにはかなり厳しい注文をつけてきた。それはホームレスに対する認識、とりわけその精神性に関する認識におおきな隔たりがあったためだ。

ホームレスは特別な人種ではない。いみじくも引きこもりの研究で知られる精神科医・斎藤環さんの「ひきこもりとは状態像である」ということばを借りるのなら、まさしく、
「ホームレスとは単なる状態像である」
といってよい。なにか特別な人たちのみが陥る世界ではない。誰しもが経験可能な単なる状態像である。

しかし、「ホームレスである」ということが、その個人に与える影響は非常におおきい。わたしは、
「ホームレスになっちゃったぁッ!」
と泣き叫んでいる日雇い労働者を見たことがあるし、わたし自身も路上に堕ちた当初は、突然わめき出したい衝動に駆られ、実際わめき散らしたこともある。やたらと他人に絡むような非常に不機嫌なホームレスもいたが、彼もまた路上に堕ちて日の浅い者だった。これらの例だけでも、ホームレス状態が人間に与える悪影響が十分にわかるはずだ。

しかしながら、特殊な環境にある者の心理は、通常はやはり想像しがたいものであろう。わたしはその想像しがたい心理をなお想像して欲しいと思い、あれこれとうるさく注文をつけてきた。ホームレスを心から理解しようとする姿勢、おそらくそれこそがホームレス問題改善の決め手となるだろうからだ。

だが、どうもなかなかそうは問屋が卸さぬようである。わたしはホームレス相手のボランティアなどという人たちは非常に志が高い人たちだと思っていて、ホームレスが泣こうがわめこうがきちんと耳を傾けてくれるはずだと、いささか高をくくっていた。このあたり、完全に読みちがえてしまったのだ。今、このブログを、いったい何人のボランティア諸兄が読んでいるのか? きわめて少数にちがいない。

その原因は前述のとおり、わたしがボランティアに厳しい態度を取りつづけてきたこともあるのだろうが、最近もうひとつ気がついた。どうやら「真剣に福祉活動をしている人」には、わたしが「べつに困っていない者」と映るようなのだ。
「なんだこの健次郎とかいうのは? ネットなんかしていてべつに困っていないんだろ。本当に困っているホームレスはたくさんいるんだぞ。こんなのの相手なんかしていられるか」
ということのようだ。

以前(そして現在も)ホームレス施設建設問題が持ち上がった地域で、反対住民組織の代表だった人を思い出す。東南アジアなどの貧しい地域でボランティア活動をおこなっている立派な人物だったが、そのような人でさえ、こと近所のホームレスの話となると、中にはぶん殴ってやりたいようなホームレスがいると口走ったものである。世界にはもっと貧しい人たちがいるのに……ということらしかった。ボランティア諸兄も、わたしに対しておなじような感情を抱いているようである。

それで、もっと貧しい、もっとたいへん、とは、どういうことだろうか? 新潟地震の被災者について、
「阪神大震災の被災者はもっとたいへんだったんだ」
ということだろうか? ポルポト政権下のカンボジアよりナチのほうがひどかったということか? 長崎よりも広島のほうがひどかった?

なにがわからないって、ネット上をウロウロしているボランティアほどワケのわからないものはない(苦笑)。実名を挙げて名指ししてもよいが……、この人たちの考えほど見通せないものにはあったことがない。なにかこの……、いや、そこでニコニコとツルんでいる○○さんと△△さんと××さん、あなた方はなんのために……。いや、そこゆくアナタとソナタ、アナタ方の態度はなにか本末転倒じゃ……。いや、まったくわからない。理解不能に近い。

非ホームレスの中でも突出してホームレスから遠く離れた距離にいる存在、それがボランティアという種類の人間なのじゃないだろうか。そうとしか思えない今日このごろ。というか、ほぼ確信……

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