非行少年のたとえ話

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「いったいおまえはなにをやってるんだっ」
 ダイニングテーブルの向かいから父の罵声に胸をえぐられて、少年はうつむいた。
「あれほど人様に迷惑をかけるなといってきたのに、よりによって……」
 父のいつもの口ぐせだったが、つづいて出てくるはずのことばを思い、少年はきつく目を閉じた。

 よりによって車を盗むとは――
 唇を強くかんだとき、
「あなた、怒鳴らないでよっ」
 父のとなりで甲高く母がさえぎった。
「この子にはこの子の言い分があるはずだわ」
 そうだった。少年にも言い分はあった。
「この子があんなことをするからには、よほどのことがあったのよ」
 学校の成績が下がっていること。勉強が進まないこと。試験もだめだったこと。
「まず、話をきちんと聞いてあげなきゃいけないわ」
 好きな女の子にふられたこと。いじめられたこと。友だちがいなくなったこと。
「この子にはいいところがたくさんあるんだから」
 行き詰っていたこと。落ち込んでいたこと。むしゃくしゃしていたこと。
「それをあなたって人は頭ごなしに怒鳴ってばかり」
 そしてなにより……
「なにをいってるんだ、おまえはっ」
 父の声に少年は身を固くした。薄目を開けた。どす黒い横顔が見えた。
「話をそらすんじゃない。今はそんなこといってない。こいつがした悪事が問題なんだっ」
「だけど、ふだんからこんなことする子じゃないでしょう。たまたまなのよ」
「そのたまたまが問題なんだろうっ」
「だからこそ、きちんと話を聞いてあげるのよ。あなたは知らないでしょうけど、こういうケースはね……」
「また講釈か。PTAの役員会ってのはそんなことばかり話し合ってるのかっ」
 父のこめかみに血管が浮き出ていた。母の眼が血走っているのが見えた。
 少年は胸をかきむしりたい思いにとらわれた。喉の奥に熱いかたまりがせり上がってきた。口から飛び出しそうになるのを押しとどめようと何度もつばを飲んだ。
「そうじゃないわ。ちゃんと専門家の意見を聞いてますっ」
「その専門家とやらが少年犯罪を減らしたか。増える一方だぞっ」
「あなたはそんなこといいますけどね、話をしてみればみんないい子ばかりなのっ」
「なにを悠長なことをいってる。現に事件は増えつづけて、町は不良どもの巣窟……」
 ふたりとも、もう少年などいないかのようだった。
 耐えられなかった。
「もうやめてっ」
 少年は熱いかたまりを吐き出していた。
「お願いだからぼくのことで喧嘩するのはやめてっ。ぼくが悪いんだ。全部ぼくが悪いんだっ。だから……」
 両親の眼が同時に少年を突き刺した。あるいはそれは、少年の思いちがいだったかも知れない。
「喧嘩はやめてよっ」
 だが、ふたりは何事もなかったかのように、再び互いに睨み合った。
 少年はまた叫んだ。なにをいったのか自分でもわからなかった。椅子を蹴って立ち上がった。なにかが砕ける音がした。きびすを返した。駆け出した。つまずいた。ぶつかった。駆けた。ダイニングのドアを抜け、リビングのドアを抜け、玄関のドアを抜け、駆けつづけた。しかし、だれも追ってはこなかった。
「……町は不良どもの巣窟じゃないか。注意を喚起してどこが悪いっ」
「あなたっていつもそうね。子供たちにも人権はあるのよっ」
「またか、また人権か。おまえたちはいつもそうだ。被害者の人権はどうなったんだっ」
「あなたたちはああした子供がどれだけの差別を受けているのか知らないんだわっ」
「さ、差別だとっ」
「そうよ、あなたたちのような人が彼らを差別するんだわ。これは差別の問題なのよっ」
「おまえたちこそなんでもかんでも一緒にしちまって、区別もせずにいい気になってっ」
「あなたがたは人類の敵よっ」
「それで勝ったつもりか。この偽善者どもめっ」
 少年がどこへ駆けて行ったのか、どこへたどり着いたのか、だれも知らない、だれも気づかない。

***

 敵、味方。勝った、負けた。正義、悪。白、黒……。いつの世界も争いは絶えることがなく、それはホームレス問題でも変わることがない。
 わたしが路上に堕ちてからすでに二年と三ヶ月が経つ。つい最近まで、この問題を社会的な視野でとらえたことなど一度もなかった。おのれが生き抜いてゆくことで手一杯だったのだ。
 ところが、ここへきて、そのわたしの周辺が突然あわただしくなってきた。生活圏のある自治体がホームレス対策のために施設を建設するという。役立つものならよいが、いい加減なものを作って排除の口実にされたのではたまらない。わたし自身は小屋掛けしていないけれども、仮に、たとえば仮眠の折りに図書館などの公共施設を使った際、ホームレス自立支援施設があるという理由が、まさに排除の理由となりかねない。いったいどういうことになるのか、それを知るために少しばかり調べはじめた。
 今はインターネットという便利なものがある。大型電器店やパソコンショップなどでは専門のコーナーを持つところもあって、単にアクセスするだけならば比較的簡単におこなえる。ざっと調べているうちにふたつのホームページ、とりわけその掲示板が目についた。双方とも個人運営のものだが、一方はホームレス支援をおこなう個人ボランティア、他方は最大級のホームレスを抱える問題地域の住民であった。それぞれの掲示板に出入りする数々の老若男女が、おのおのの立場でホームレスを弁護し、あるいは批判する。ときに相手方の掲示板に乗り込んで議論を巻き起こしたりもする。だが、最後はいつもなじりあいになり、結果は物別れに終わる。
 そうした幾度かの争いを眺め、やがてわたしは気がついた。この世には、ホームレスを受容する人たちと排除する人たちがいるのではないのだと。ホームレスを弁護する者たちと批判する者たちとがいるのではないのだと、それがやっと見えてきた。
 そうではなかった。この世には、ホームレスとそうでない人たちがいるだけだったのだ。そんなあたりまえのことに今さらながら思い至ったのだった。そして、両者のあいだに横たわる溝は、底などとても見えぬほどに深く、果てしがないことも。
 自治体が建設中の施設ができあがっても、わたしは使わない。だから、この街からホームレスがいなくなることも、また、ない。むろん、わたしが生きているあいだだけの話であるが。

(2004-03-13 他掲示板投稿分を改稿)

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