格差と不平等

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7月28日付・東京新聞夕刊で、同志社大学ビジネススクール教授の浜矩子さんが、「格差と不平等を読む」という記事を書いている。書店店頭の平積みが、かつての「激動の時代を生き抜くサバイバル本」から「格差と不平等の本」へと変わりつつあるという。人々の意識が、「なぜこういう社会になったのか?」という原因に向かいはじめた結果だというのだ。

格差社会は確かに弱者に対して手厳しい。だが、平等社会は強き者の力量を抹殺する。いずれも、単独では最適解にはつながらない。格差あることが切り捨てにつながらず、平等を保障することが画一化につながらない社会をつくれるか。

氏はそう問い、自身がイギリスで過ごした小学生時代の思い出を語る。そこでは試験の全結果が張り出され、格差が一目瞭然だったという。しかし、不平等感を持つこともなく、排除されることもなかった。かえって、お互いに苦手なものを支え合う互助精神が芽生えたという。それを踏まえ、「格差無きところに真の平等無し」。氏はそう結んでいるのだが……

日本ではおかしな横並びの平等主義がはびこっている。それが、能力はみないっしょ、というまちがった考えにつながっている。ために、「できないのは努力していないせいだ」という、他者の努力を無価値化して責め立てる人々が非常に増えた。

能力ではなく努力のせい、だからがんばろうよ、という励ましとして使うぶんには効果的なこの手法も、ひとたび相手を責める道具として誤った使い方をされると、とんでもないことになる。それまでの努力をまったく評価されず、価値のないものとして打ち捨てられた結果、自尊心の欠如と不安を生み、しかし先へ進まなければならないという強迫観念に取り付かれてしまう。

こうした画一的な平等主義者の存在が、人々から意欲を奪う一因になっているのはまちがいない。それまでの努力を無価値化されたがゆえに、意欲を失うケースは枚挙に暇がない。とりわけ繊細な若い時代はそうである。不用意な言動は、才能ある若者をいとも簡単につぶしてしまうのだし、実際、わたしはそういうケースをたくさん見てきた。

人間を評価する軸がひとつであることはあり得ない。AがよければBがだめ、BがだめでもCはよし。人は軸の組み合わせで成り立っている。その軸をどこまでたくさん持って他人を見ることができるのか。おそらく成熟とはそのことにかかっているのだと思う。人間とは多面体の動物なのである。

格差はあって当然である。しかし、願わくば、強き者が弱き者の曇った面を助け、弱き者が強き者の曇った面を支える格差であって欲しい。“社会”とは、本来そうしたものであろう。

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